――深川監督は、『半分の月がのぼる空』『ガール』といった若い俳優と組んだ作品を撮る一方で、『60歳のラブレター』や本作のように、ベテラン俳優ともしっかりとタッグを組んでいます。年齢的にはまだまだ若い深川監督ですが、地に足がついた演出ぶりが非常に印象的なのですが。
僕の実家は内装屋なのですが、内装屋をやる前は表具屋でした。家業は掛け軸やふすま、障子の張り替えなどをやっていて、年配の方から若い衆まで、たくさんの職人さんが出入りしていました。子ども時代はそういう環境の中で過ごしていたのです。大人と過ごすのが楽しくて、職人の方たちにはたくさん遊んでもらった記憶があります。
「職人は生かさず殺さず」 祖母の教え
――環境として年上と接する機会が多かったということですね。
僕は祖母から「栄洋、見てごらん。職人は生かさず殺さずでやるんだよ」と言われ続けてきました。これって、すごくひどい言葉に聞こえますけど、おカネをいっぱい与えすぎてもダメだし、おカネを与えなさすぎて貧乏人にしてもダメだという意味なのです。それは僕自身を支えている言葉でもあります。ものづくりをする人間は、お金持ちになっちゃいけないし、おカネを貯め込んでもいけない。でも、かといって貧乏になるような振る舞いをしてもいけないんだと。
――それこそ映画業界にも職人気質の人が多いと思いますが、そのご実家の体験というのはすごく役に立ちましたか。
それはとても大きいと思います。僕は20代の半ばぐらいに監督デビューをさせてもらったのですが、そのときはもちろん、どのセクションの人々もみんな年上でした。そんな職人さんたちとなぜうまくやってこられたかといえば、幼い頃から職人たちと接してきたからです。職人というのはどんなことを気にして、どんなことに腹を立てて、どんなことに涙するというようなことは、わりとスッと身に付いていたのです。そういった境遇に今は感謝しています。
――職人さんと付き合っていくコツはありますか?
近寄りすぎず、離れすぎず、ということではないでしょうか。近寄って彼らの仲間になろうとはしてはいけない。僕たちはあくまでも指揮者なので、彼らに肩入れしすぎてしまうと、物語作りが窮屈になってしまう。時には「今から、僕は間違えたことを言います。間違えたことでもやるんです」といったことを言うこともあります。そうすると粋(いき)に感じて「わかった。間違えたことをやってやろうじゃないか」と思ってくださる人たちが多い。
あくまでも考えて決めるのは僕です。だけどいろいろ教えてくださいね、という立場です。そうやって飲みニケーションでやっていくのが、僕のやり方ですね。おそらくほかにもいろいろなやり方があると思うのですが、僕の場合は、父や祖父、そして母や祖母から言われた言葉を、そのままやらせてもらっているだけです。
――とはいえ、職人の側にも「いや、俺はこうしたいんだ」といったプライドのようなものがあると思います。そういったことでぶつかることもあると思うのですが?
もちろんほうぼうから、違う意見が持ち上がったときには、「違う」と言い続けます。ただし、それぞれのパートに勝負の瞬間があって、そこは見極めるようにしています。たとえばここが照明部の時間だなと思ったら、彼らに「照明で絵を描いてください」というように言うのです。だいたいは「えっ、機械で絵を描く? わかった」というふうに返してくれます。ほかにも、画面の選択肢に迷った時には、「ここはアーティストであるカメラマンさんがいいと思う絵でやりましょう」と言ってみたり。
そうやって、役者を演出する以上に、スタッフを演出するのですね。ちょっと歯の浮くような、普段では言えないようなことを、現場では言ったりもするのです。自分でもよく言うな、と思いますけど(笑)。でも、そういった、一瞬一瞬に勝負をかけて彼らに言った言葉が、映画になってフィルムに焼き付くので。その作業が面白いのです。
「こっちだ」と旗振り役をするのは監督の役割ですが、「どうにもならないのです」と言って、皆さんのお知恵を拝借することも大事なのです。そういうときは、本当に皆さんのおかげで監督にならせていただいているんだなと、強く感じる瞬間です。この映画でもそういうことがたくさんありました。
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