1978年に瀬古利彦が1万mで27分51秒61の学生記録を樹立。その記録を破ったのが現監督の渡辺康幸で、1995年に27分48秒55をマークした。そして、渡辺監督が指導した竹澤健介(現住友電工)が2007年に27分45秒59と記録を更新すると、昨年は大迫傑が日本人学生最高記録を約6秒塗り替える27分38秒31(日本歴代4位)をたたき出した。渡辺、竹澤、大迫は大学在学中に世界大会にも出場している。
渡辺監督は学生時代、インカレや箱根駅伝などで大活躍。その人気もすごかったが、「大会のレベルが低いので、もっと高いレベルでやりたいなと思いました」と語るほど、競技意欲は高かった。「世界を目指す」という“魔法の言葉”が、選手たちの意識を「国内競争」から「世界」に向けさせた。
ワセダはWASEDAじゃなきゃいけない
大学在学中に大阪世界選手権と北京五輪に出場した竹澤健介は、入学当初から世界を意識していたわけではなかったという。しかし、「渡辺さんから『世界』という言葉を聞きましたし、早大競走部の磯繁雄監督が、『ワセダはWASADAじゃなきゃいけない』とよく言われていました。競走部全体でも『日の丸をつける選手になりなさい』という指導をされていたので、その言葉が頭の片隅に残っていたこともあると思います」と、世界大会を目指した日々を振り返る。
4年連続で箱根駅伝のシード権を失うなど、長距離ブロックは一時低迷したが、竹澤が世界大会への扉をこじ開けたことで、再び“上昇気流”をつかむ。「箱根で優勝したい」という選手ではなく、「世界で戦いたい」という高い志を持つ有力選手たちが入学するようになったのだ。
「駒澤大学や東洋大学は組織力、育成力に関してはウチよりも優れているかもしれません。でも、本当に素材がいい選手には『箱根で優勝しよう』ではなく、『ウチに来たら特別なことがあるよ』とアピールできるようになりました。駅伝で勝てばいいというのは、本来のワセダの姿ではないと思うのです」(渡辺駅伝監督)。
全国トップクラスの選手が再び、名門に集まるようになり、その戦力が2010年度の「学生駅伝3冠」につながった。そのとき1年生だったのが大迫だ。高校時代からスピードにこだわってきた大迫の意見を尊重して、渡辺監督は無理に長い距離を走らせることはなかった。箱根を目指すチームとは反対ともいえるアプローチになるが、大迫はスピードを意識したトレーニングで強くなった。
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