その上での話ですが、もしも二組共離婚した場合、夫側が路頭に迷うのも目に見えていました。「崖っぷちに両手だけでぶら下がっている人を、自分の足で蹴飛ばして突き落としておいて、自分だけのうのうと生きていける訳がない。そうして罪悪感で苦しむよりは、一緒にいる方がましだ」と二人は口を揃えました。
“離婚”という文字が彼女たちの辞書になくとも、今時の時代です。離婚されても文句がいえないほど酷い夫側の行状でしたから、夫側に生活力があれば、あるいは二人とも離婚したかもしれません。そうならなかったのはひとえに、夫側の無能力と彼女たちの道徳観と、夫婦にしか判らない大人の事情でした。
レモングラスさんのお母様の「犬猫でも捨てたら死ぬかも知れないから」は、「野良になっても元気に生きていける環境にさえあれば」あるいは、という私の二人の知人と共通している理由の存在を感じました。
子供たちがこれ以上惨めに感じなくてすむよう等々、複雑な理由がからみ、第三者が考えるほど離婚は簡単ではありません。思慮深いお母様の意を汲んで差し上げるのも、子供の務めですよ。
病人の世話だけではベストの看護ではない
前述の知人のうち一組は妻が癌にかかり、全身に転移しました。最後の一時帰宅をしたときのことです(夫婦はこの一時帰宅が最後だとは知りません)。夫婦仲も良くなかったのですが、死を目前にした妻はその一ヶ月間、夫に漢方薬を煎じて飲ませました。娘たちはそれをみています。
漢方薬が大好きで自分のことしか知らない父親が“健康になった”母親に要求したのか、母親が長い入院で留守をした埋め合わせのつもりでやっているのかは、娘たちは問わなかったそうです。半年後、彼女が息を引き取る少し前、何気なく「あの漢方薬を煎じるのは大変だった。ずっと横になっていたかったのに、しょっちゅう起き上がって火(なぜかコンロに炭火)加減をみるのは本当に疲れる仕事で、そのために病気がぶり返したのかもしれない」と娘たちに言ったそうです。
娘たちは母親のお見舞いや看護には献身的でしたが、健康で我がままな父親の漢方薬を、母親に代わって煎じることまでは考えが及ばなかったそうです。考えてみれば疲れる作業であることは明らかで、交代に自分たちの家で煎じて届けるようにするのも、母親の看護のうちだったという後悔は今も続いていると、娘たちは言います。
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