――専門家会議による情報発信は、政府の認識や国民の行動に大きな影響を与えました。その一方で、法律に基づかない諮問機関にすぎないのに政府を代表しているかのようだといった批判もあり、組織のあり方も問われました。
専門家会議の前身の組織として、厚生労働省が「感染症対策アドバイザリーボード」を最初に開催したのが2月7日だった。その直前の2月3日に横浜港に寄港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」での集団感染への対応が当初の最大のテーマだった。
私はアドバイザリーボードのメンバーではなかったが、日本医師会で感染症対策の任にあったことから厚労省の要請を受けて、日医の災害派遣医療チーム「JMAT」の先遣隊として2月10日に現地に赴いた。そうした経緯から、専門家会議を新たに発足させるに際しては医師会組織のメンバーを加えることが必要だと政府が判断し、専門家会議構成員を拝命した。医師会メンバーの参加は、今後、新型コロナウイルス対策において、医療提供体制の整備が重要な課題になるとの考えによるものだったと思う。
クルーズ船の対応、権限明確化が課題
――専門家会議の第1回会合は2月16日でした。当時の状況はどうでしたか。
クルーズ船で集団感染が起きたのは横浜港に寄港した2月3日よりも前がほとんどであり、2月5日に乗客の個室隔離を開始して以降、感染拡大はコントロールされた。このことは、その後の検証でもわかっている。クルーズ船への対応は全体としてはよくできたと思う。
反省点は洋上で大規模な感染の事例が生じたときに、誰が責任者を務め、どのような権限で対応するかについての国際的な取り決めが存在しないことだ。船内に関して責任を負っているのは船長である一方、寄港を認めたわが国がどのような権限に基づいて乗客・乗員に対応できるのかがはっきりしていなかった。船長の了解を得ながら、検疫と関連して感染者の治療と感染拡大防止の観点から政府が関わったが、非常に困難を極めた。権限をめぐる問題は今もなお解決していないと認識している。
――専門家会議の配布資料によれば、第1回会合では「受診・相談の目安」についても議論されていたようです。
議論を踏まえて厚労省の事務連絡が翌17日に自治体向けに発出された。そこに書かれた内容が(検査難民を生み出したとして)後に大きな問題となるのだが、当時はそこまでの認識はなかった。というのも、インフルエンザの流行時期にあり、症状が急激に発現するインフルエンザと比較して、発症から症状がだらだら続くことが鑑別に役立つ可能性を考慮した。発症から4日以上経過しないと相談・受診できないという運用につながるとは予想できなかった。
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