PCR検査の正確性については、まだ、国際標準のエビデンスがないが、感度70%、特異度は99%という想定値がリスク分析上妥当ではないかと考えられる。
だが、感度95.0%、特異度99.9%とさらに高い数字を仮定しても、1000万人について検査を行えば、有病率が10%の場合で偽陽性は9000人、偽陰性は5万人出る。有病率が50%の場合で偽陽性は5000人、偽陰性は25万人出る。
【2020年6月23日追記】偽陽性、偽陰性の計算を追記しました。
これでは、多くの人が誤って感染していると判断されて無用な差別や偏見を受けることにつながりかねない一方、膨大な数の感染者が陰性結果に安心して日常生活を続け、ウイルスの拡散を見逃す結果になる。そうした検査の限界を踏まえないと政策は議論できない。ところが、これを理解しないままに、PCR検査による集団スクリーニングを主張する人が多かった。
間違いは基本的なところから起きていて、政府や自治体、NHKの報道でも日々グラフを出して「感染者数」を発表しているけれど、科学的にみれば明らかに間違い。正確には検査の「陽性者数」だ。行政も「感染者数」と言っているので、誤情報があふれてしまう。
医療においては「人権」は絶えず意識する問題
もうひとつ、私が驚いたのは、医療の問題を議論しているのに、語る人々の人権意識が非常に低いことだ。検査の精度に問題があるということが理解されれば、次には偽陽性で隔離されてしまった人の人権問題にどう対処すべきかが当然、テーマになるはずだ。ところが、平時なら人権に対して敏感であるかのように話すテレビのコメンテーターも、「精度の問題はさておいて」といった軽い調子で話す場面が見られた。
医療の専門家としてテレビに出ている人もその点、あまり変わらないように見えた。医療は深く人権問題と関わっている。例えば、臨床における医者と患者との関係において、今流にいえばパワハラがあってはいけないとか、果たしてその医療は本当に患者のためのものなのかとか、絶えず人権は問題になる。
――結核やハンセン病など過去にも隔離は問題となってきました。
公衆衛生ではそこのジレンマがとくに強く起きる。最大多数の最大利益を考えると個人の利益の毀損が起こる場合がある。そこをきっちりと議論して、私権制限を最小にしていかなければならない。仮に、大規模に検査をしたいと政治家が言い出したとしても、「偽陽性の人が大量に出てそういう人を隔離すると人権問題が生じる、果たしてそこまで必要ですか」と問いかけるのが医療関係者の本来あるべき姿だ。
私は「大規模な検査に基づく隔離」などという提案には一貫して反対の立場を述べてきた。科学的根拠がないという意味でも間違いだし、社会的価値という観点でも数兆円のコストがかかるのに費用対効果が見込めず、人権侵害が起こる点でも間違っているからだ。
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