山折:教育の部分は、地方分権でいいんじゃないでしょうか。中央官庁である程度コントロールしないといけない部分もあるでしょうが、具体的に規範やマナーをどうするかという問題については、やっぱり地域の風土に根ざした伝統がありますからね。そこからにじみ出るものを、それぞれが選択していく形でいいと思います。
高校野球の季節になると校歌が聞こえてきますよね。みんな同じようなことで歌っていますけれど、あれでいいんでしょうね。宗教教育や道徳教育という上から目線の言い方はしないほうがいい。そんなものは絶対効果はないですよ。
安西:雑談ですけど、去年、島根に行く機会がりまして、ちょうどその日の晩に、神々が浜に降りてきて会議をするという話を聞きました。それがなかなか面白いなと思いまして。いろいろな神様がおられて、それが一堂に会して議論をするんだという話を急に思い出しました。
山折:まあ多神教の世界ですからね。その寛容さというのかなあ。今度の遷宮の問題でいいますと、あの伊勢の地には、明治までは神仏が祀られていました。伊勢の東北に朝熊山という山があります。これは密教の山でしたし、今でもそうです。だからお伊勢参りをする人は必ず朝熊をかける、と言われていましたね。それが明治以降、がらっと変わってしまうわけです。
安西:インドに行く機会が何度かありましたが、多神教の世界ですのでなかなか奥が深いと思います。中国とはまた違ったとても面白い世界だなと。
アフリカに未来はないと思う
山折:インドの社会では、ご存知のようにカースト制度が根強く活きています。それで、神様の世界もその差別のシステムに左右されています。たとえば、肉を食べる神様と肉を食べない菜食主義の神様とはちゃんと区別している。肉を食べない神様の方が上位なんです。菜食主義の問題なんです。このカースト体制というものが、結局イギリスの植民地支配に抵抗する最後雄の基盤になったということがあります。カースト制度それ自体はもちろん負の問題をたくさん抱えてはいますが、その根っこのところを守ったからこそインドは今日、イギリスの支配を乗り越えて世界最大の民主主義国になることができたとも言えるんですね。
それに対して、アフリカ諸国は西欧に発する植民地支配によって全部それを根こそぎにされていくんですね。イスラム教がキリスト教の国では分断され分割されてしまいました。私は、アフリカには未来はないのではないかと思っています。
日本もグローバリゼーションの大波に飲み込まれて、日本本来の文化と伝統というものを失ってしまうと、アフリカが辿ってきたのと同じ道をたどるかもしれない。そういう不安を持ちます。インドの社会、インドの文明というものを他山の石とすべきだと私は思っているのです。その点では、中国も同じような方向に向かっているようで、危ない。
安西:インドは悠々としていますね。デカン高原に立つと何かそういうしたたかさというものを感じるところがあります。
山折:西洋文明やイスラム文明とずっと戦い続けて、それで生き抜いてきたわけですからね。
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