「日本社会」と「西洋社会」の決定的な違い 山折哲雄×安西祐一郎(その4)

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諦めることの大切さ

安西:例えば福澤諭吉も近代化の啓蒙家と言われますが、西洋のことを勉強すべきだと言ったのは手段であって、欧米が跋扈する中で、日本が独立していくために必要だという考え方だったわけですね。なんかこうバッと変えようとか、ただ変えることが目的だという考え方は、日本の教養ではないと思います。

安西祐一郎(あんざい・ゆういちろう)
日本学術振興会理事長
1946年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院工学研究科博士課程修了。カーネギーメロン大学人文社会科学部客員助教授、北海道大学文学部助教授を経て、慶應義塾大学理工学部教授。2001~09年慶應義塾長。2011年より現職。専攻は認知科学、情報科学。

山折:福澤諭吉の教養の根本は、私なりの解釈では「一身の独立」ですね。

安西:そうですね。現代は明治のころと似ているような気がします。世界の動きが急速に日本の国内と関係づけられるようになってきたというところが似ています。若い人たちにとってむしろ機会が増えていくという点も似ているように思います。そういうときに、日本には千何百年の歴史があるのだと、血肉にしながらエネルギーを前に向けていくという、そういう教育に何とか変えたいというのが私の思いです。

普通の人たちが本当の意味で良かったなと思える、そういう人生を歩むにはいったいどうしたらいいのかというのは私の一つの命題です。俗世間での幸せと言ってもいいかもしれません。

山折:最近の日本の社会は、いろんな分野で、いろんな選択肢が増えてきて、どれを選んだらいいのかわからない、その不安感が逆にまた増大している。選択肢が多いがゆえに不安が増大するということになっている。選択せずには生きていけないという問題が実は背後にはあるわけです。

選択するということは実は何かをあきらめるということであるわけで、これをまずしっかり教えることから始める以外にないと、私は思っています。ところが我が国の教育現場では、あきらめることはマイナスの生き方だというふうに教えられてきているわけですよね。

安西:そうですね。

山折:教育の場で、これをひっくり返すのは大変なことです。だから、これは家庭の段階からやっていかなければならないのですが。

安西:ええ。むしろ親がこういうふうになりなさい、というケースが多い。

山折:多いですね。選択問題が強制と重なっているわけですね。

安西:例えば高校生が、自分の規範になるような書物を自分で見つけられる、そういう環境になっているか。

山折:われわれの時代は、一日が始まるときに三カ条とか五カ条というのをしばしば暗記させられたものです。これがやがてしっかり身についていく…。

安西:規範をなかなか大人自身が持てない。規範は本当には自分で見つけていくものでしょうが、子どもにとっての規範は誰が教えるのか。

大学生になるときには自分で何かを決めて生きるようにいてほしいのですが、そのためには型が大事になります。でも、その型がなかなか見えなくなってしまっています。それは、一つには先ほどから言われている原風景というか、日本の大地です、大地というのは周りの海も含みます。それに向かって手を合わせたときに正しいかどうかということですね。

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