新自由主義は「上から下への階級闘争」だった 「2つの階級の分断」をあらわにしたコロナ禍
だからこそ、もう一度マルクスの移行期の思想に依拠して、この逆立ちした「上から下への階級闘争」を元の本来の姿に戻そうとしているのです。
2つの階級の分断が白日の下に
新型コロナウイルスの世界的な流行に関して、日本がかなり独特の対応をしてきたのはご存じのとおりだと思います。欧米先進国や、韓国、中国に比べて、日本の検査数は極端に少なく、そこから導かれる感染者の統計は当てにならないのではないかと、海外メディアから批判もされました。
わたしは、統計の専門家ではないので、日本のとっている方法が正しいのか、誤っているのかについてここで言及するつもりはありません。ただ、「検査を増やすと医療崩壊する」というロジックには、まさに文明のジレンマが如実に現れていると言えるだろうと思います。
4月に入って日本においても感染者数の急増がみられ、ついに緊急事態宣言が出されました。そして、政府も自治体も特定業種に対する休業要請を行っています。ところが、休業要請に応じた業者に対しての補償が迅速に行われているとは言い難い状況です。
このような状況のもとでは、内部留保のほとんどない中小零細企業が事業継続するのは困難です。わたしが経営している喫茶店でも、4月の人件費を支払うのが精いっぱいで、5月以降休業したとして、補償がなければ家賃・人件費といった固定費を支払うのが難しい状態です。これはどの事業者にとっても同じでしょう。
収入がゼロであっても、水と少量の食料があればなんとか食いつないでいけるかもしれませんが、家賃や人件費といった固定費はそのまま赤字として積み上がってしまいます。
どうやら、政府はこれらのその日暮らしの事業者は潰れても仕方がないと考えているとしか思えません。そうなると、倒産が相次ぎ、失業者が町にあふれるのは目に見えています。まさに、マルクスの時代のルンペンプロレタリアートが出現する一歩手前であり、1929年の大恐慌以後の世界の様相が再現される可能性が高くなっています。
経済成長戦略、選択と集中、医療、福祉、介護などの公的部門のスリム化といった一連の新自由主義的な政策のツケをいま支払わなければならなくなっているわけです。
この災厄がどのくらい続くのかよくわかりませんが、これが日本だけではなく、世界の社会システムに大きな変更をもたらすことは間違いないと思います。来るべき変化が鎖国や戦争といった極端な方向や、独裁者待望といったネガティブなものになるのか、それとも経済成長戦略を見直して持続可能社会実現のための本格的な設計変更が行われるのかは予断を許さないところがあります。
ただ、現在の災厄が、わたしがかつて述べてきた「移行期的混乱」のステージをワンランク上げたことだけは確かだと思います。そして、「移行期的混乱」の時代には、さまざまな前代未聞の問題が立ち現れてくることも確からしく思えます。
このたびの災厄は、わたしたちが生きている世界が、持てるものと持たざるものとの2つの階級に分断されてしまっていることを、いやが応でも白日の下にさらすことになりました。そして、この傾向が進めば進むほど、社会はその脆弱性を露呈することになるだろうと思います。
そうした問題に立ち向かうには、これまで当たり前だと考えてきた価値観や制度をもう一度根元的に検証することが必要なのです。そのようなことを行ってきた思想家たちの中から、例えばマルクスをもう一度読み返すことは、その意味でも大変意味深いことだろうと思っています。
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