新自由主義は「上から下への階級闘争」だった 「2つの階級の分断」をあらわにしたコロナ禍
そもそも、人間は当初から移動する生き物であり、高速な移動こそが経済を活発にし、人間の社会を文明化するというのは正しいのでしょうか。人間たちの多くが、土地に縛りつけられ、移動の自由もままならないという時代もあったのです。部族社会の人々は、限られた空間の中で贈与経済を基準にして、広範な移動をすることなく暮らしていたはずです。自給自足の社会では、人間はそれほど広範に移動する必要もなかったのです。
いつから、人間は過剰な流動性こそが人類の文明の進化であると考えるようになったのでしょうか。いつからわたしたちは、経済成長と文明の進展をイコールで結び助けて考えるようになったのでしょうか。そして、その考えは、人間の社会をどのように変えていき、何をもたらすことになったのでしょうか。
裏テーマは「新自由主義の打倒」
日本に緊急事態宣言が出された日に前後して、1冊の本が出版されました。
『永続敗戦論』で、これまでよく見えていなかった日本人のコンプレックスを見事に可視化した若き研究者、白井聡による『武器としての「資本論」』です。この本の基になった講座は、わたしが主宰をしている「隣町珈琲」という喫茶店で行われた連続講座です。
今なぜ、マルクスなのかという問いが出るのは当然でしょう。『資本論』を今論じることにどんな意味があるのか。本稿ではそのことの意味について論じてみたいと思います。
マルクスとは何者なのかと問うたとき、多くの人々の頭に浮かぶのは、唯物論を唱えた経済学者であり、共産主義革命を先導した思想家であるという肖像かもしれません。
わたしにとってのマルクスは、そうした典型的なイデオロジストとしての人物ではなく、世界の文明移行期に現れて、世界の全体を徹頭徹尾理性的に捉えようとする一人の思索者です。
あえて言えば、自分が生きている世界について、誰もがわかり切っていると思っていた問題を根元的に問い直そうとした人間だということです。文明移行期には、このような思想家が現れるものです。よくわからない、不確実な未来について思考するには、わかり切っていると思っていた問題を、丁寧に掘り起こして見る必要があるのです。
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