自己啓発書を「何冊読んでも救われない」真因 資本主義を内面化した人生から脱却する思考
「リーマンショック」のような経済危機が起こるたびに「マルクスの『資本論』を読もう!」という掛け声が上がる。『資本論』の入門書は数多く刊行されているが、『資本論』を正確に理解することと、『資本論』を現代に生かすこととは同じなのか? そもそもどうやって読んだらいいのか。
このほど上梓した『武器としての「資本論」』著者の白井聡氏が、私たちがなぜ日常的に「不条理や苦痛」を味わわなければならないのか、同書の一部を抜粋し、その構造を『資本論』から読み解いていく。
「ムカつく」が「委譲」されるシステム
忘れがたい記憶があります。
まだ東京の新宿にある大学に勤めていたときのこと。当時は京王線に乗って通勤していたのですが、大学からの帰り、午後6時台の下り電車に新宿駅から乗りました。帰宅ラッシュの最も混む時間帯です。
その日、私はドア付近に立っていたのですが、私の目の前に立っている、30歳前後のサラリーマン風の男性が文庫本を読んでいました。電車は途中からますます混んできて、ぎゅうぎゅう詰めになってきました。
それでも彼は一生懸命読んでいるのです。ちょっと邪魔なので、私は「こんな状態で無理矢理本を読むなんてどういうつもりだ」と少し不愉快な気持ちになって、「いったい何を読んでいるのだろう」と、のぞき込んでみました。
男性が読んでいた本はカール・マルクスの『資本論』でした。
私はびっくりすると同時に、感じるものがありました。「ああ、確かに『資本論』は、こうまでして読む本だよな。そういうものだ」と。私はその姿にまさに、「生き延びるための『資本論』」を見たと思ったのです。
私が『資本論』を初めて読んだのは大学生のとき。当時、デパートの上のレストランでウェーターのアルバイトをやっていました。今思い出してもなかなかきついバイトで、混んでいるときは4時間くらい立ち止まる暇さえありません。
逆に、暇なときはすることがなくて、時間が流れません。「暇疲れ」してしまいます。そういうときはよくキャッシャーのカウンターの陰に隠れて本を読んでいました。まさにそこで『資本論』を読んだのです。
ああいう環境で読むと、内容が非常によく頭に入ります。「賃労働とは何か」ということを、日々実地で感じながら読むからです。
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