自己啓発書を「何冊読んでも救われない」真因 資本主義を内面化した人生から脱却する思考

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『資本論』はこの疑問に答えてくれます。私たちが生活の中で直面する不条理や苦痛が、どんなメカニズムを通じて必然化されるのかを、『資本論』は鮮やかに示してくれます。だからこそ、私がたまたま目撃したサラリーマンは、あそこまで必死に本を開いていたのでしょう。

「これを読まないわけにはいかない」と感じて、みんなが一生懸命『資本論』を読むという世界が訪れてほしいと思うのです。そこまで行けば世の中は、大きく変わります。なぜみんなこんなに苦しみながら、苦しまざるをえないような状況を甘受して生きているのか。「それは実はとてもバカバカしいことなのだ」と腑に落ちることが大事なのです。

腑に落ちれば、そのバカバカしさから逃避することが可能になります。「ヤバかったら、とりあえず逃げ出そう」となれば、うつ病になったり、自殺してしまったりというリスクから身を遠ざけることができます。さらには「こんなバカバカしいことをやっていられるか。ひっくり返してやれ」ということにもなってきます。

『資本論』を人々がこの世の中を生きのびるための武器として配りたい。

『武器としての「資本論」』という書名には、そんな願いが込められているのです。

生き延びるための「武器」になる「地図」

ところで見知らぬ街を歩いて目的地にたどり着かなければならないとき、何がいるでしょうか。もちろん、地図ですね。みなさんは頼りになる地図を持っていますか?

持っていなくても、スマホの地図アプリを立ち上げれば大丈夫、と思う人もいるでしょう。しかし、そのアプリは、本当に信頼できるのでしょうか? アプリの情報は古いかもしれない。誰かが悪意で間違った情報をそこに仕込んでいるかもしれない。

そんなことを言うと「ずいぶん被害妄想的だ」と思われるかもしれません。しかし、その無料で使えるアプリはなぜ無料なのだろう。資本主義社会ではあらゆる富が商品として現れることに鑑みれば、無料のはずがないですよね。「タダほど高いものはない」のかもしれません。

私たちが日常的に使う無料アプリの使用履歴は、消費者の消費行動のデータとして蓄積され、売買される商品となっており、それらが末端消費者には「無料」で利用可能であるのは、めぐりめぐってそれらのデータがあなたの財布からカネを出させるのに役に立つからです。つまり、無料の地図は存在しない。

資本制社会の中で生きる、生き延びるためにも、地図が必要です。頼りになる地図はどんなものでしょうか。地球全体の形がわかると同時に、今、自分がいる場所、街角の一隅をピンポイントで指し示してくれる地図、そんな地図がほしい。

どうしてそんなものがいるのでしょうか? 普段の街歩きに地球儀は不要、というか役に立ちません。しかし、いつもの街角が異変に襲われることがあります。

例えば、近年私たちが経験したような突然の水害。しかし、それは「突然」であるかに見えて、そうではありません。注意深く地形図を見れば危険は予知できるし、古地図を見れば先人たちがその場所を避けていたこともわかるはずです。普段は必要ない(かに見える)それらの地図が、非常時に生き延びるためには、大いに役に立つのです。

資本主義の世の中を生き延びるために本当の意味で武器になる地図は、ググれば手に入るものではないし、自己啓発書でもない。まともなものを手に入れようとすれば、それなりの努力が必要です。そして、『資本論』はそうした努力を払うに値する武器であることを、伝えることができればと考えています。

白井 聡 政治学者、京都精華大学教員

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しらい さとし / Satoshi Shirai

1977年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。3.11を基点に日本現代史を論じた『永続敗戦論 戦後日本の核心』(太田出版、2013年)により、第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞などを受賞。その他の著書に『国体論 菊と星条旗』(集英社新書、2018年)、『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社、2020年)などがある。

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