自己啓発書を「何冊読んでも救われない」真因 資本主義を内面化した人生から脱却する思考
「なんで店長というのはああムカつくんだろう」と思っていると、その店長が朝から「今日は憂鬱だ」と言っている日があります。デパートの担当者が定期的に面談に来ていて、その日は朝から店長は「憂鬱だ」とぼやいています。「お前のところの売り上げはどうなっているんだ。こんな売り上げでいいと思っているのか、この野郎」と絞り上げにくることがわかっているからです。
そういう姿を見ると私も、「店長というのはムカつくやつだが、どうも、もっとイヤなやつがその上にいるらしい」と感じるようになってきます。なんであいつはあんなにイヤなやつで威張りくさっているのだろうか。それは大資本というものの威光を笠に着ているからなのです。
あるいは、売り場では笑顔を絶やさない売り子のお姉さんたちが、バックヤードではどんなに険しい表情を浮かべて、客の悪口を言っていることでしょうか。どれほどの苦痛にこの人たちが売り場で耐えているのかをそれは物語っていました。
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『資本論』を読んでおぼろげにわかってきたことは、デパートの担当者と店長との関係、店長とアルバイターとの関係、客と売り子の関係は、それぞれ大資本と小資本、資本家と労働者、商品の買い手と売り手といった資本主義に特有の社会的関係の反映だったということなのです。
では、大資本とはいったい何なのでしょうか。デパート資本は店子の中小零細企業に比べればはるかに大きいけれども、日本経済全体で見れば、最大でも最強でもありません。
さらに経済は世界中でつながっており、日本では大資本であっても、世界的に見ればより大きく強い資本はいくらでもあります。私が働いていたその郊外のデパートも昨年、百貨店不況の中で閉店しました。
『資本論』のすごいところは、一方では国際経済、グローバルな資本主義の発展傾向というような最大限にスケールの大きい話に関わっていながら、他方で、きわめて身近な、自分の上司がなぜイヤな態度をとるのか、というような非常にミクロなことにも関わっているところです。
そして、実はそれらがすべてつながっているのだということも見せてくれます。言い換えれば『資本論』は、社会を内的に一貫したメカニズムを持った1つの機構として提示してくれるのです。ここが『資本論』のすごさなのです。
今、世の中に出ているマルクス入門、『資本論』入門といった本を読んで、このすごさが生き生きと伝わってくるものが見当たりません。だから、『資本論』の偉大さがストレートに読者に伝わる本を書きたいと思いました。
なぜ毎日窮屈な服を着てぎゅうぎゅう詰めの電車に乗って会社に行かなければならないのでしょうか。
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