新自由主義は「上から下への階級闘争」だった 「2つの階級の分断」をあらわにしたコロナ禍
わたしたちにわかっているのは、よく分からない危機に直面しているということであり、もう一つはこの度のパンデミックがわたしたちに突き付けた問題がどのようなものであったのかということだけです。
コロナからどの国がいち早く抜け出すかということに目が行きがちですが、もっと重要なことはこうした災厄がわたしたちの世界が作り出した脆弱な部分、つまり経済的蓄積のない貧困層や医療資源に乏しい貧困地帯に大きな被害をもたらしているということです。
イギリスでは黒人の死者数が白人の4倍、パキスタン人がおよそ3.5倍になっており格差社会の実態が炙り出される結果になっています。
ところで、「わからない」という意味は、このたびの新型コロナウイルスなるものが、そもそもどのようなもので、どのように変異し、それが文明にどのような影響を及ぼすことになるのかについて、参照すべき既知がないということです。
このことは、例えば人口減少社会というものについて考えるとわかりやすいかもしれません。長期的な人口減少は、わたしたちが実感を持ってさかのぼれる歴史のスパンの中で、初めて遭遇した出来事であり、それゆえこれまで誰も人口減少について考えてこなかったし、この問題を過去の事例に還元することもできないのです。
つまり、わたしたちは、人口減少社会という前代未聞の現象に向き合っているということです。このような問題に直面したとき、わたしたちはどのように考え、行動したらよいのでしょうか。
『ペスト』で描かれた「不条理」への向き合い方
パンデミックについては、人類はこれまで何度か遭遇してきています。14世紀に猖獗(しょうけつ)を極めたペストや、1918年のスペイン風邪の流行については誰でも知っています。感染症そのものは、歴史上何度か現れた経験済みの現象だと言えるでしょう。
しかし、グローバル化が進んだ現在における感染症の流行は、先行きが見通せないという点では、ほとんど前代未聞の不確実性の問題に遭遇しているのだということは言えると思います。
現在のパンデミックが、グローバル化し人々と商品が高速に移動する複雑化した世界において、社会にどれほどの影響を及ぼすのか、どのようにして収束してゆくのか、その後の世界経済がどうなるのかについて、誰も確かなことは言えないのです。
コロナウイルス対策をめぐる顛末は、わたしたちに根源的な問いを投げかけることになりました。わたしたちは、これまで文明の進展とともに人類が獲得してきたさまざまな権利、とりわけ移動の自由と、集会の自由を制限しなければ、感染の拡大を防げないという、文明と疫病対策のジレンマに直面しているということです。
かつて、モバイルコンピューターが出現したとき、モバイルインターネット技術に投資をしていたビジネスマンは、投資の勝算についてわたしにこう語ったことがありました。
「モバイル技術は、圧倒的に広がるだろう。なぜなら、人間はモバイルだからだ」
彼のこの言葉は、わたしに強く印象に残っています。なるほど、「人間は移動する生き物であり、移動を止めたら人間は人間ではなくなってしまう」と言うことなのでしょう。
はたしてそうでしょうか。
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