コロナで神話崩壊、名古屋タクシー運転手の告白 流転タクシー第2回トヨタ依存の街の今後

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愛知県の名古屋駅前ロータリーを埋め尽くすタクシー(2020年3月、筆者撮影)
街の活気を示す1つの指標でもあるタクシードライバーたち。この職を選んだ彼らは、どんな生活を経て流れ着いたのか。1人ひとりの人生を深掘りしながら考えてみたい。今回は名古屋を拠点にするドライバー(70歳男性)だ。参考記事:『タクシー運転手70歳男性が述懐する仕事の功罪』

「東京や関西からのお客さんには『名古屋は景気がよくて羨ましい』なんて言われる。だって、天下のトヨタさんがあるじゃないですかって。確かにリーマンショックの時も、名古屋はほかの都市ほど大きく影響を受けなかったと言われていますから。でも、今回のコロナで街は完全にアウト。さすがのトヨタさんの神通力も、ウイルスには勝てませんから。小さいタクシー会社なんか、どんどん潰れていくでしょう」

新幹線口を出て、名古屋駅前のタクシー乗り場に向かう。駅前広場や、地元の有名飲食店が入る地下街「エスカ」に隣接する乗り場には、タクシーが30台ほど列をなしていた。だが、なかなか動く気配がない。

昼間でも閑散とした駅前タクシー乗り場とタクシーの多さが対照的だった(2020年3月、筆者撮影)

昼過ぎで本来ならタクシー利用者があふれる時間帯のはずなのに、一目見て名古屋のタクシー業界の厳しさが伝わってきた。

鉄道系列の名前が書かれたタクシーに乗り込むと、名古屋市内で生まれ育ったという岡村さん(70歳・仮名)は冒頭のように嘆いた。

名古屋駅から大須観音~女子大前、栄、錦の方面に向かってほしい、と目的地を告げる。変わりゆく町の様子とサービスで解説しますね、と笑いながら岡村さんはゆっくりとアクセルを踏んだ。

昭和の良い時代を満喫していたが…

岡村さん:ワシがタクシー運転手を始めたのは昭和57年(1982年)かな。その前は喫茶店で働いて、ナイトクラブの用心棒をして、運送業やゴミの収集もやった。飽き性で何やっても長続きせんで、いろんな仕事をした。不思議とこのタクシーの仕事は馬が合ったというか、人と話せる仕事は初めてで楽しかった。それで、車を走らせながら新しくできたお店を探したりしてな。気になったお店は仕事上がりに飲みに行った。

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でも、人間の性分はなかなか変わらん。ある日、ツレに京都に遊びに行こうと誘われて、寝過ごして大阪まで行ってしまったんよ。それで難波の千日前いうところで遊んどった。当時のパチンコは、1週間で飲んで食ってホテル泊まって豪遊して、10万円の所持金が20万円になっちゃってね。

それで関西はこれだけ儲かるなら、競輪も儲かるぞという話になって、甲子園競輪場(※現在は閉鎖)に行ったら2人とも、すってんてんになって、帰りの電車賃もなくなった。

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