堀江貴文氏がそれでも宇宙を目指す本当の理由 “ゼロ"からロケットを作り始めた彼の真意

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しかし、結局僕はロシアからエンジンを購入することはできなかった。「打ち上げたいならロシアに来て打ち上げればいいじゃないか」。当時のロシアの言い分ももっともだ。みすみす将来のライバルをつくるようなビジネスはしたくないのだろう。ロケットは打ち上げサービスとして、向こうの言い値で買うしかない状況だった。もちろん高い。

ちなみに、アメリカにエンジンを売って以降、ロシアはエンジンを外国に売っていない。そうやって手に入れたロケットエンジンを、アメリカは現在の主力ロケット「アトラスV」の第1段に使っている。「RDー180」というエンジンだ。もう涙が出るぐらいの超高性能エンジンである。おかげで今、アメリカの軍事衛星がロシアのエンジンで打ち上げられるという、冷戦の頃には考えられなかったことが当たり前になっている。

ウクライナ情勢をめぐって、アメリカでは「ロシアのエンジンを使うな」という声が上がったが、おいそれと代わりのエンジンは用意できない。また、ロシアもそう簡単にアメリカという金づるを手放せない。もうしばらくこの状況は続くだろう。

ロシアからの購入と並行して、僕らは北海道の民間ロケットの嚆矢であるカムイロケットを開発している植松電機さんと北海道大学の永田晴紀先生にも打診した。だが、カムイロケットへの資金提供の申し出は残念ながら断られた。

ロシアにも植松電機さんにも断られたら、もう、自分たちで作るしかない。自前の技術でロケットを作るべくさまざまな手段を検討した。

しかし、2006年初頭、これからというときに、ライブドア事件で僕は逮捕されることになる。詳細はここではあまり触れないが、当時のメンバーの1人の野田さんが、ロケットの図面を差し入れて「これを作るところから始めよう」と言ってくれたのだった。

「なつのロケット団」結成

ライブドア事件の後、メンバーとともに、本当に何もないところからロケットのエンジンを作り始めた。僕らのチームの名前も「なつのロケット団」と決めた。

「なつのロケット団」は、開発リーダーと一部の専門家が手伝いはしてくれるものの、そのほかは、SF作家、イラストレーター、漫画家にジャーナリストと、素人がほとんどだった。コアメンバーは当時40代。それでも「僕らで宇宙に行こう」という気持ちは強かった。

「ガンダム」や「スター・ウォーズ」で見たような、誰もが宇宙に行けるような世界が来ないのであれば、自分たちでそれを実現させたい、と高いモチベーションを持っていた仲間だ。

いちばん最初のきっかけは、1999年に「なつのロケット団」のメンバーの1人で漫画家のあさりよしとおさんが、同じメンバーの宇宙機エンジニアである野田篤司さんにした質問だったと聞いている。

「世界最小の打ち上げロケットを作るならどのくらいのサイズになるか」。人工衛星などの設計を専門とする野田さんは、具体的にシミュレーションを行い、どんな設計になるのかをまとめた。

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