堀江貴文「他人事に時間を費やすバカげた人生」 忙しいフリをして、実は心が退屈している
自分ではなかなか気づけない、内面的な「暇」
「あまりに忙しくて、『動き回るぞ!』という気になれない」という人もいるだろう。
だが、「忙しいせいで、動くための時間がない」というのは誤解だ。そんな忙しさは単なる思い込みだし、そもそも「忙しい」と「熱中できない」の間には関係がない。
実態はむしろ逆で、心から熱中できる対象を持っていないからこそ、そのダブついた時間を「忙しいフリ」をして埋めているのである。
言ってしまえば、その人は「暇」なのだ。
なぜそうなるかと言えば、そのほうがラクだからだ。スケジュールを他人時間でいっぱいにして、「ああ、忙しい忙しい」と不満を垂れていれば、自分の人生の空虚さを忘れていられる。そうしないと心がもたないのだ。
「暇」といえば、休日に何もやることがない状態を思い浮かべる人もいるかもしれないが、ここでぼくが言っているのは「忙しさで偽装された暇」とでも呼ぶべきものだ。
この種の暇はいろいろと厄介だ。まず、自分がそういう状態に陥っていることになかなか気づけない。
目の前にはやることがたくさんあるから、忙しく仕事をしているような気分になっている。しかし内面的にはとてつもなく退屈をしており、胸の内では心がカラカラと“空転”しているのである。
こういう空回り状態が続くと、心は無理やりに「燃料」を求めて動こうとする。言ってみれば、心が「エネルギーのムダ遣い」をしたがるのである。
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