バーナンキの発言、イエレンの証言、雇用統計の数字、これらは予想できるが、投資主体、投機家、トレーダーたちが、どう反応するかは予想できない。いや、予想はできるが、定量的に予測はできない。トレーダーたちも、直感や予想はあるが、どちらに流れが傾くかはわからないし、行動は他者の行動に依存し、その流れは、誰が作ったわけでもないが、彼らが作っているという矛盾に飲み込まれていくからだ。
流れを予測できない、日銀の金融政策
個々のファクト、それらの因果関係、それは予測できる。論理的に位置づけられる。しかし、それらが生み出す流れ、流れが次々に次のファクターに影響を与えていく。そして、それぞれのファクターとは経済主体、つまり人間または組織のその状況に対する反応、行動によって決まる。それは予想できない。
予想できない経済主体の意思が、行動という結果として実現すると、それが現実、ファクトとなり、ファクトがファクターとなり、次のほかの経済主体の行動の意思決定に影響を与えていく。これが次々に不特定多数が形成する経済の中で連鎖的に、それも五月雨式に起きていくと、流れになるが、この流れは読めない。予測できない。これこそがナイトの不確実性だ、というのが私の仮説だ。
今年度は、この「OBATA conjecture」(小幡仮説)を理論体系化することを仕事としたいが、世の中では、これに一番関係あるのは、日銀の金融政策だろう。どちらに傾くか。政治も絡み、国民のムードも絡み、世界情勢も絡み、どういう流れになるか、予測はできない。個人的な予想はあるが。
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