今の日本人は“情”が欠如している

山折哲雄×安西祐一郎(その2)

山折:ここで、新しいテーマの話をします。先ほどの永山則夫の話と関連しますが、2013年にもうひとつ戦後を代表する凶悪犯罪事件の精神鑑定書が公開されました。それは、2001年3月に大阪府池田市で起きた、宅間守による小学生無差別殺傷事件です。その鑑定を担当したのは、京都大学医学部出身の岡江晃という方で、今、京都府立洛南病院の院長を務めています。岡江先生は『宅間守 精神鑑定書』(亜紀書房)の中で、精神鑑定書を詳しく事後解説しています。

山折哲雄(やまおり・てつお)
こころを育む総合フォーラム座長
1931年、サンフランシスコ生まれ。岩 手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教 授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数

それを読んでこれまた驚いたのですが、宅間守はあの事件を起こすまで、強姦、傷害、不法侵入などの事件を毎年のように起こしていたそうです。けれども総合的な鑑定結果としては、精神障害とも精神分裂病とも評価できない、そういう結論を出されたのですね。それではどういう診断を下したかというと、これが驚きなのですが、「情性欠如」というものでした。情性というのは、人情の情、情性の欠如ということです。情が完全に欠如した人間だという診断です。

著者は、ご自分の精神鑑定書にもコメントしているのですが、「精神病的な疾患あり」という診断をすると死刑にできなくなる。ただ今日の世間は厳罰主義に傾いている。裁判所も世論を考慮しないといけない状況になっていて、刑事司法と精神治療の狭間に立って、自分は苦しんだと書いています。とすると、「情性欠如」という診断は本当に客観的にそれだけなのかという疑いが、当然、出てきます。ですから私はそれについて、機会があれば岡江先生にぜひ聞いてみたいと思うのです(編集部注:岡江先生は昨年亡くなられた)。

若者より大人に“情性”が欠けている

山折:「情性欠如」という問題は、一般的なレベルで考えても、おそらく日本の教育界全体、大学教育の状況とも、必ずしも無関係ではない。日本の戦後教育には、情の部分がいちばん欠けているのではないかと、何となく私は考えていたからです。知識の教育、受け身の知識を学生たちに授けることばかりやっていて、教師の側はそのことを感性のレベルにまで掘り下げて反省せずにきているし、いまだにその問題については本気でない、人間のあり方について人情の問題の重要性をあまり考えようとはしていない。これは重大な問題だと思うのです。

そんなことを考えるとき、夏目漱石の『草枕』の冒頭の言葉が自然に浮かんできます。

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」、この「智」「情」「意」をいったいわれわれはどう解釈してきたのか、ということですね。漱石は本当のところどう考えていたのか。「智」「情」「意」のバランスが取れてればいいということを言っただけなのか……、といったようなことを感じましてね。もしかすると「情性欠如」という問題を、漱石なりにあの言葉で表現していたのかもしれないとまで思うようになりました。とにかく「人情紙の如く薄し」ですよね、現代の社会は。

安西:そうですね。大人は若い人に情が欠如していると言いますが、むしろ私は大人の側に情性が欠如しているような気がします。一般に企業組織でもどこでも、自分の利益になればいいという、そういう感覚が非常に強くなっているように思いますね

今、私は、東京圏の5つの大学の1年生を対象に、企業の人事の方々と一緒にボランティアで授業をやっています。その中には当初、あいさつもろくにできないと言われた学生もいますが、実体験を積んだり、ディスカッションをしたり、いろいろな授業をやっていくと、学生の態度がかなり変わっていくのですね。主体的なエネルギーが湧き出るように、学生が変われる場を作っていくのは、やはり大人の責任だと思います。

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