女性アスリートという生き方
【前編】では、一連のSTAP騒動に関して、小保方晴子ユニットリーダーが理系の女子(いわゆるリケジョ)だったからこそ起きたことではなかったか、と述べました。
「男性が得意とされている分野での女性の活躍は、良くも悪くも好奇心の対象となり、結果的に、激しい敵視・攻撃にさらされることもありうる」ということです。
そういう意味で私は常々、女性アスリートの生きざま・ライフキャリアに注目しています。
「運動ができる」「カラダが強い」というフィジカル面は、男性が「女性よりも優れていたい」とこだわる要素の最たるものでしょう。女性よりも強くありたい、力持ちでありたい。それが男性の根源的なプライドです。
ですから多くの女性アスリート=「運動のできる女性」はそもそもからして、男性からすると複雑な気持ちになる存在です。
それが、フィギュアスケートや新体操のように「女性の世界」であればまだしも、強さに本能的に結び付いた「男性の聖域」、たとえば柔道やボクシング、サッカーや野球であれば、なおさらです。
複雑な気持ちになった男性たち(つまり多くのメディア)は、彼女たちを純粋にアスリートとして取り上げることをせず、必ず「美人アスリート」「女性格闘家」などの枕詞をつけて報じます。それはまさに、小保方さんを「かっぽう着のリケジョ」と持ち上げたのと同じ仕組みです。さらには、彼女たちの実力や功績よりも、ルックスや私生活(彼氏はいるのか)について、やいのやいのと言い立てます。
たとえば、なでしこジャパンが脚光を浴び、川澄選手の美貌が注目された時期、インタビューでは「結婚はいつ頃を考えていますか?」といった質問が飛び交ったものです。
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