「そこからは日本の出版社から仕事をもらう予定だったんです。でも3月11日に日本で東日本大震災が起こってしまい、出版業界の人たちもそれどころではないという状況になってしまいました。そして仕事がない中、2人目の子供が生まれました。
赤子を抱きながら『やばいぞ~やばいぞ~』って震えていたのを覚えています」
ある程度まとまった額の退職金が出ていたため、しばらくはなんとかそれで食いつないだ。半年ほど経つと日本の状況も落ち着きはじめ、10~11月くらいからやっと執筆依頼をもらえるようになった。
ただ、かなりやばい状態になっても「日本に帰る」という選択肢は高田さんの中に浮かばなかったのだろうか?
「日本に帰るという選択肢はなかったですね。今後もないと思います。というのも、日本のきっちりしたところがどこか僕には合わないと感じているからです。思えば、それは子供のころからずっとそうなのかもしれません。どこか他の国に行く可能性はありますけど、でも今はタイに家族がいますし、タイに居続けようと思っています」
『日本人視点』を忘れてしまうことでの意外な発見
フリーライターになって数カ月は大変だったが、単行本を持っての飛び込み営業はうまくいった。タイについてここまでよくわかっている日本人ライターはまずいないから、重宝がられたのだ。
高田さんは、日本人がまず知らないタイのB級スポットやバンコク飯などを紹介した。
基本的にはそれで問題なかったのだが、まれにタイにずっと住んでいるがゆえに『日本人視点』を忘れてしまうことがあるそうだ。しかし、そのギャップが意外な発見につながる。
「タイの仏教には根底に精霊信仰があります。精霊はどこにでもいて、神木は街中にあるし、建物には祠があります」
高田さんにとっては、精霊に囲まれて生きるのはもはや当たり前のことになっていた。
このルポの冒頭で紹介した『人が亡くなったスポットにシマウマの人形を置く風習』についても高田さんはなんとなく当たり前だと思っていた。
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