「華僑報徳善堂の人たちを見ていたら、ユニフォームにいくつかの色があることに気づきました。色の違いはなんなのか、スタッフに聞いてみると
『紺色はボランティアだよ』
と言われました。ボランティアなら、僕も入ることができるんじゃないか?と思って本部の一番偉い人のところに頼みに行きました」
2回ほど足を運ぶと、入隊を許してもらえた。そして高田さんは、2004年から華僑報徳善堂唯一の日本人スタッフとして活動を始めた。
「ケガ人を応急手当てして病院に運ぶのがメインの仕事ですね。殺人事件が起きたら現場保存をします。タイの警察官はなぜか死体に触りません。監察医の手伝いを僕らがすることもあります。監察医に
『傷の深さは?』
と聞かれたら、ゴム手袋をはめて傷に指を突っ込んで深さを測ったりしますね」
2004年に起きたスマトラ島沖地震では22万人以上という、とてつもない数の人たちが亡くなった。高田さんも、ケガ人を病院に運ぶなど、懸命に働いた。
そして、高田さんは現在も、華僑報徳善堂のボランティアスタッフとして活動している。
本業の無料誌の編集者を退職。その理由は…
華僑報徳善堂のボランティアは続いたが、しかし本業である無料誌の仕事は辞めることにした。
「現在の妻になる女性と出会っていまして、さすがに安月給で家族を支えていくのは厳しいぞ……って思いました」
妻と出会う前は、よく海外にいる日本人男性のように遊ぶことも多かったという。
「26歳の頃、日本人の友達と夜遊びをしていました。一緒に遊んでいる相手は30~40代の男性でした。1~2カ月遊んでいて、ふとこのまま自分も30~40代になって
『いい歳して独身で女の子の尻を追っかけ回してるってどうなんだろう?』
って思ったんです」
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