いったん日本に戻り、自動車工場で7カ月ほど働いて150万円以上貯めて、2002年に改めてタイに行った。
「ただ、その150万円は飲みと遊びで半年もしない間に使ってしまいました。それで2003年の5月くらいから現地で働き始めたんです」
もともと文章を書くことや本を作ることには興味があったので、タイ国内の日本人向けの無料誌の編集者になった。
その仕事の拘束時間は長く、何カ月も休みがとれず、給料も安かったが楽しかった。
「その編集部で働いているとき、そもそもタイに来た理由を思い出したんです」
高田さんは、サブカルチャーの雑誌で知った民間のレスキュー隊に興味を持ってタイに来た。最初に来たときは、まだ言葉ができなかったのでたどり着けなかったが、今なら取材することができると思い、民間のレスキュー隊「華僑報徳善堂」を訪れた。
タイに来たきっかけでもある「華僑報徳善堂」の取材へ
「華僑報徳善堂」は100年以上前に創設された民間のレスキュー組織だ(タイ政府に正式に認可されたのは1936年)。
そもそもは中国の華僑の人たちが、タイの人たちから認められるために作った組織である。傷病者を病院に搬送、遺体の回収と移送、などをボランティアで行っている。最近では大学や病院なども創立した、かなり大きな組織だ。
高田さんが隊を訪問してみると、取材させてもらえることになり、現場へ同行することになった。
バンコクの原宿と呼ばれるサイアムスクエアの隣に、司法解剖室がありそこにドンドンと担架に載せられた遺体が運ばれてくる。中華系の遺族は、遺体の前で赤い線香をたき始め
「えい!! えい!!」
とお祓いを始めた。すでにタイに慣れていた高田さんにとっても、びっくりするような光景だった。
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