例えば、タイでは人が亡くなった場所、あるいは霊が現れると言われているスポットには、なぜかシマウマの人形を置く風習がある。タイにはいないシマウマの人形を置くとは、とても変わった風習だが、なぜシマウマを置くのだろうか? その真相を知っている人は実はタイ人でもあまりいないそうだ。
疑問を持った高田さんは大勢のタイ人に話を聞いて、いくつかの結論に至っている。タイ人にも知られていない事実に迫る。まさに、タイに深く根差しているからこそできるルポルタージュだ。
今回はたまたま日本を訪れていたときに時間をもらい、なぜタイ在住のライターになったのかを聞いた。
信条は「嫌なことからは逃げる」
高田さんは東京都足立区に生まれた。
あらかわ遊園の近くで生まれ、花畑団地で育った。
「子供時代は普通の子だったと思います。ただ将来の夢は船乗りでした」
小さい頃から遠出をしていた。
小学校3~4年のとき、映画を見に行くときは、近場の上野の映画館をスルーして銀座の映画館まで見に行っていた。
「親と『E.T.』や『南極物語』を銀座で見た思い出があったので、わざわざ遠い映画館まで行ったのかもしれません。
でもそうやって遠くに行くのは全然平気でしたね。海外へ出る下地はその頃できたのかもしれません」
船乗りになりたかったから、高校は海洋学科のある学校に進学しようかと思ったが、結局は普通科の高校に進むことにした。
小さい頃から成績はよく、地元ではトップレベルの高校に進学することができた。
「進学はできたんですけど、なんだか16歳のときに燃え尽きてしまったんです。僕は『嫌なことからは逃げる』というのを信条にしているので、そのときも逃げました」
高田さんは「嫌なのに頑張る」というようにはしたくないと思っている。どうせ頑張るなら、いったん逃げて他の場所で頑張ったほうがいい。
だから、あっさりと高校2年で高校を中退してしまった。
「親は教育関係の会社で働いている人でしたから、少々小言は言われましたね」
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