「ゲームだって映像産業だよな」
今やライブ、グッズ販売など含めて年間600億円を売り上げるアイドル育成シミュレーションゲーム、『アイドルマスター』シリーズ。後にその総合プロデューサーになる坂上陽三(現江戸川大学教授)が、ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)の門をたたいたのは1991年9月のことだ。
大阪芸術大学映像計画学科で映画監督を目指していた坂上だったが、教授から「ピン送り10年」(カメラのピントを手前から奥に移す技術を習得するのに10年かかるという意味)といわれる映画業界の徒弟制の話を聞き、志望する職業を軌道修正した。
ナムコに入社した坂上は、即戦力として主力のアーケードゲーム機(ゲームセンターに設置される業務用のゲーム機)『エアーコンバット』の開発チームに加えられた。いきなり「3D(3次元)CG」の戦闘機ゲームだ。
ゲームの最先端はアーケード機
91年当時、ゲームの最先端はアーケード機にあった。ソニーが世界初の3D CG家庭用ゲーム機「プレイステーション」を発売するのは94年。アーケードゲームはその6年も前に、ゲームセンターで3D CGを実現していた。
なぜアーケードゲームのほうが早く進化したか。べらぼうに儲かったからだ。
ゲームセンターで3分に100円を稼ぎ出すアーケードゲーム機の価格は、1台数十万円。大がかりなものは100万円を超えた。最盛期のゲームセンターは、新しい機種が出るとどんどん買い替えてくれたから、100万円のアーケードゲーム機が飛ぶように売れる。1台1万〜3万円の家庭用ゲーム機とは、かけられる開発費が違った。



















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