ジョン・カビラが2度の「長期休暇」を取った理由 休んだからこそわかったことがある

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ちなみに、最初に就職したCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)からJ-WAVEのナビゲーターに転身する際、きっちりと条件を話し合ったんです。「1年に2回、1週間ずつの有給をください」と。生番組の出演者が休みを前提に条件を出すというのは、相当珍しかったのでは(笑)。

でも、曖昧にしておくのがいちばんよくないと思ったので、いの一番にクリアにしました。だから、当初から放送局の関係者とはそういう話し合いができていて、環境を整備していただけたというのは、今思うと相当な意味がありました。

不安よりワクワクのほうが大きかった

――長期休暇についてもそのときに話していたんですか。

ジョン・カビラ/1958年 沖縄県出身。国際基督教大学(ICU)在学時に カリフォルニア大学バークレー校留学。大学卒業後はCBS SONY(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)入社。海外との渉外部門に所属し、レコードの資材輸入やアーティストプロモーションのコーディネートなどを担当。サラリーマン時代にはテレビ番組などでミック・ジャガーやボズスキャッグス、TOTOなどの通訳もしていた。1988年にJ-WAVE 開局と同時にナビゲーターに転身。以降はスポーツ番組MC、情報番組MC、テレビ、CM、雑誌、舞台など幅広く活動中(写真:梅谷秀司)

もちろん話していません(笑)。話しても条件に盛り込めなかったでしょうね。でも、5、6年経ったときに自分のことを振り返る時間が必要だったし、仕事がだんだんルーティーンになってきて、「仕事があって当たり前」という状況に甘えそうな自分が嫌だったんです。そんなことを制作スタッフの方々に相談したら、「ああ、なるほどね」と理解してくれた。当時のプロデューサーと制作担当のスタッフには感謝しています。

――復帰することが前提のお休みだったんでしょうか。

「帰らせてもらえますよね?」という雰囲気はありました。でも、そこはフリーランスだと微妙ですよね。同じ仕事に復帰できるのか、もしくはゼロから新しいことを始めるのか……。

その辺はお互いの共通理解がないと、後になって「え、帰ってくるつもりだったの!?」と大変なことになります。フリーランスの方は、その辺の環境整備と周りとの共通理解は不可欠でしょうね。

――仕事から長期間離れることで、不安はなかったのでしょうか。

不安よりもワクワク感のほうが大きかったですね。やりたいことがいっぱいあって。逆にいうと、仕事の環境がカツカツでかろうじてやれている状態だったら、休みたいとは思えないでしょうね。もちろん「もうこれ以上は無理だ」ということもあるでしょうけど。

そういう意味では、2006年の休暇はそちらのケースでしたね。当時はJ-WAVEの月〜金曜日朝のレギュラー番組に加え、フジテレビの「すぽると!」が週2回、さらにワールドカップのドイツ大会で海外出張が入り……あれほど働いた時期はありませんでした。もうこれ以上は無理だと思い、休ませてくださいと頼みました。でもそうなると、1つの番組だけ休むわけにもいかないんですよ(笑)。それでレギュラー番組はすべて降板して長期休暇に入りました。

――2006年の休暇中は、ご家族でオーストラリアへ移住されたんですよね。

このときの休暇は家族がテーマでもあったんです。実は、娘が待機児童になって保育園に入れず、インターナショナルの保育園に通っていたんですが、娘がなついていた先生がメルボルン出身で。先生が退任された後、家族でメルボルンまで会いに行ったことがありました。

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