ジョン・カビラが2度の「長期休暇」を取った理由 休んだからこそわかったことがある
ちなみに、最初に就職したCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)からJ-WAVEのナビゲーターに転身する際、きっちりと条件を話し合ったんです。「1年に2回、1週間ずつの有給をください」と。生番組の出演者が休みを前提に条件を出すというのは、相当珍しかったのでは(笑)。
でも、曖昧にしておくのがいちばんよくないと思ったので、いの一番にクリアにしました。だから、当初から放送局の関係者とはそういう話し合いができていて、環境を整備していただけたというのは、今思うと相当な意味がありました。
不安よりワクワクのほうが大きかった
――長期休暇についてもそのときに話していたんですか。
もちろん話していません(笑)。話しても条件に盛り込めなかったでしょうね。でも、5、6年経ったときに自分のことを振り返る時間が必要だったし、仕事がだんだんルーティーンになってきて、「仕事があって当たり前」という状況に甘えそうな自分が嫌だったんです。そんなことを制作スタッフの方々に相談したら、「ああ、なるほどね」と理解してくれた。当時のプロデューサーと制作担当のスタッフには感謝しています。
――復帰することが前提のお休みだったんでしょうか。
「帰らせてもらえますよね?」という雰囲気はありました。でも、そこはフリーランスだと微妙ですよね。同じ仕事に復帰できるのか、もしくはゼロから新しいことを始めるのか……。
その辺はお互いの共通理解がないと、後になって「え、帰ってくるつもりだったの!?」と大変なことになります。フリーランスの方は、その辺の環境整備と周りとの共通理解は不可欠でしょうね。
――仕事から長期間離れることで、不安はなかったのでしょうか。
不安よりもワクワク感のほうが大きかったですね。やりたいことがいっぱいあって。逆にいうと、仕事の環境がカツカツでかろうじてやれている状態だったら、休みたいとは思えないでしょうね。もちろん「もうこれ以上は無理だ」ということもあるでしょうけど。
そういう意味では、2006年の休暇はそちらのケースでしたね。当時はJ-WAVEの月〜金曜日朝のレギュラー番組に加え、フジテレビの「すぽると!」が週2回、さらにワールドカップのドイツ大会で海外出張が入り……あれほど働いた時期はありませんでした。もうこれ以上は無理だと思い、休ませてくださいと頼みました。でもそうなると、1つの番組だけ休むわけにもいかないんですよ(笑)。それでレギュラー番組はすべて降板して長期休暇に入りました。
――2006年の休暇中は、ご家族でオーストラリアへ移住されたんですよね。
このときの休暇は家族がテーマでもあったんです。実は、娘が待機児童になって保育園に入れず、インターナショナルの保育園に通っていたんですが、娘がなついていた先生がメルボルン出身で。先生が退任された後、家族でメルボルンまで会いに行ったことがありました。