アメリカで盛り上がる、日米“バブル崩壊”比較論 《若手記者・スタンフォード留学記26》

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 「日本は1990年代の金融危機に対して、大胆かつ迅速に立ち向わなかった。その結果、“失われた10年”に苦しみ、1990年代を通して、低い経済成長にあえぐことになった」

2月10日の会見でそう述べたのは、オバマ新大統領。この例に漏れず、ここ最近、日本のバブル崩壊を引き合いに出して、アメリカの金融危機を語る論説が増えてきました。

たとえば、主要メディアでは、2月6日のニューヨークタイムズが、日本のバブル崩壊後の公共事業に焦点を当てて、「先進国において、公共投資は本当に効果があるのか」を分析しています(「Japan’s Big-Works Stimulus Is Lesson」)。
 
 他にも、最新号(2月14日号)のエコノミスト誌は、「アメリカの金融危機は日本のそれより深刻化する可能性がある」ことを示唆しています(「Worse than Japan?」)。

メディアのみならず、私の身近でも、日本の金融危機はちょっとしたブームです。

「国際政治経済」の授業では、来週、「金融危機に対する政策の歴史」をテーマとして、日本を大きく扱う予定ですし、ビジネススクールで履修している「マクロ経済と金融市場」という科目の最終レポートでは、アメリカ人、中国人と共に、「アメリカは日本の金融危機から何を学べるか」について20ページ書くことになりました。
 
 こうした事情もあり、日米金融危機に関する資料集めに追われている今日この頃なのですが、私自身、日米金融危機についての理解を深める良いチャンスになりました。
 
 ということで、今回は、おさらいの意味もこめて、日米金融危機の共通点と相違点をざっくりと記してみたいと思います。東洋経済オンラインでは、「もう、そんなことは知っているよ」という方も多いとは思うのですが、なにとぞ、お付き合いください。

バブル発生の経緯は結構似ている

まずは、そもそもの金融バブル発生の原因から。

日本の場合、バブルの淵源は1985年のプラザ合意にあります。

この合意の主な狙いは、当時、対日貿易を中心に莫大な経常赤字を抱えていたアメリカをドル安により救うこと。日米独仏英による協調介入により、当時240円程度だった円ドルレートは、88年までに120円にまで半減しました。輸出立国日本にとってこれは相当なダメージでした。

この円高に伴う、「輸出減少→経済悪化」という流れを食い止めるため、日銀は大幅な金融緩和を実施。こうしてジャブジャブに供給されたマネーが、「土地神話(それまで、30年以上も不動産投資のリターンは一環してプラスだった)」に後押しされて、不動産や株へと向かい、バブルを生み出したわけです。預金が集まり過ぎた一方で、優良な貸し出し先が不足していた銀行は、どんどん不動産関連への融資を増やしたのです。

では、アメリカ版バブルはなぜ起きたのでしょうか。

最も根本的な原因は、アメリカの過大な経常赤字と世界的な貯蓄過剰です。

言い換えれば、「アメリカ人は自分の収入以上に金を使いすぎ、中国人・日本人は金を貯めこみすぎた」ということです。ここ数年、アメリカ人の貯蓄率はほぼゼロまで落ちたのに対し、中国はGDPの約50%を貯蓄にまわしてきました。

この“米国消費バブル+日本・中国輸出バブル“の基本的な流れは以下の通りです。

「アメリカ人が消費する→中国・日本からアメリカへの輸出が増える→輸出でもうけた金をアメリカ人に貸し付ける→借りた金を使ってアメリカ人は消費する→輸出が増える」

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