田辺聖子「直木賞の常識を壊した」偉大なる才能

彼女が乗り越えた文壇に根付く「性別の壁」

以来、委員の多くは、それぞれの賞の過去の受賞者を中心に構成されるようになった。その不文律は現在まで続いているが、これまでわずかに3人だけ、芥川賞を受賞した人でありながら後年直木賞の選考委員を任された作家がいる。中山義秀(第39回~第61回)、松本清張(第45回~第82回)、そして田辺聖子だ。

1964年、「芥川賞」を受賞

1964年、田辺が受賞したのは芥川賞のほうだった。受賞作は同人誌『航路』に発表した「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)」。放送業界に身を置く30代後半の女性と、その恋人になった実直な共産党員との、恋の顛末を描いている。

選考会では軽薄な作風と言われながら、丹羽文雄や石川達三らに強く推された。受賞が決まった後で、丹羽は講談社の中間小説誌『小説現代』編集部の大村彦次郎に「こんどの受賞者は、きみンとこの雑誌には、ええぞ」と推薦したという(大村彦次郎『文壇うたかた物語』)。

文芸同人誌に参加して、芥川賞選考委員の目にとまる……その経緯を考えると、もともと田辺は純文学の作家だった、と言えなくもない。しかし、そう簡単に断言することもできない。田辺にはそれ以前からの作家的な履歴があったからだ。

素人の頃には『講談倶楽部』や『婦人生活』など、純文学にこだわらずにいくつかの懸賞に応募を重ね、そのなかから編集者に見いだされて『婦人生活』に「花狩」を連載。1958年には単行本化されて商業デビューを果たしている。芥川賞をとる6年ほど前のことだった。

このあたりの経緯や彼女の作品を見ると、芥川賞の受賞は、田辺にくだされた評価の1つにすぎないことがわかる。受賞からまもなく『小説現代』から注文を受けると、のびのびとした筆も水に合って、各誌30万部近くの売り上げを誇った中間小説誌の世界になくてはならない存在となった。

もともと田辺の作品には「○○文学」というような枠組みに収まらない性質がある。芥川賞を受賞して、やがて直木賞の選考委員の声がかかったのは、既存の枠にハマり切らない彼女の文学的立場をよく表している。

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