嫌だったのは、家が汚かったことと、トイレの臭い。多人数での共同生活の宿命かもしれません。そのため、あまり友達を家に呼ぶ気になれなかったそうですが、理由はまだありました。「みんなで共有する家」という認識だったため、誰に許可をとればいいかわからなかったのです。「深刻なことではない」ものの、これもまた共同生活の特徴でしょう。
「沈没家族は大好きでした」。慎重に言葉を選ぶ彼女の口からその言葉が出たのは、取材の後半。「まあまあ、よかった」くらいかな、と思っていたので、一瞬、驚いてしまいました。
「もちろん、大好きでしたよ。むしろ大好きじゃないと思ったことがない(笑)」
世間は「ふつうの家族」と違った家族や環境を見ると、「子どもがかわいそう」と決めつけがちですが、子どものほうは必ずしもそう感じてはいません。沈没家族で育った萌さんや土さんには、該当しなかったことがわかります。
辛く感じた父の言葉
沈没ハウスを出たのは小学4年生のとき。父方の祖父が亡くなったため、萌さんは母親と離れ、父親とともに1人になった祖母の住む実家に移ったのです。
「父親について田舎に行くというのがどういうことか、全然わかっていなかった。いざ引っ越してから寂しいなと思って、ふさいだときもありました。隣には叔母夫婦といとこ3人が暮らしていたので、それはそれで楽しかったんですけれど」
大好きだった沈没家族と離れた萌さんは、その後、父親がふと口にした言葉に傷ついたといいます。
「『めぐを早くあの環境から救い出したかった』と言われたことがあって、それはショックでした。沈没にいたときも父とは毎週末会っていたんですが、それまでは何も言われたことがなかった。『今までずっとそう思ってたんだ』と思うと、裏切られたみたいな気持ちになって。自分が否定されたというより、母親の考え方を否定された感じです。
父はけっこう世間体を気にするタイプなので、出入りしている大人たちのことが気に入らなかったんだと思います。大学を出てから定職に就いていない人が多かったので、“社会不適合者の集まり”みたいに思っていたのか」
人を肩書きで見る人は少なくありませんが、自分にとって大切な人たちを悪く言われるのは悲しいこと。しかもそれを思っているのが自分の親で、悪く言われるほうに、他方の親が含まれているというのは、萌さんにとって辛いことでした。
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