「離婚家庭とかで育った友達は、よく『もう一方の親の悪口を聞いているときが一番辛い』って言いますけれど、それと同じです」
なお、萌さんが最も寂しさを感じたのは、沈没家族とは関係なく、妹さんが生まれた時期でした。母親には新しい夫ができ、『母親にとって私はもう必要でない、家族の中心ではないんだろうな』と感じてしまったそう。その後、東京の大学に進学し、母親や妹たちと生活したときは、「また母と一緒に暮らせるのが嬉しかった」ということです。
もしやるなら期待値を上げない
筆者は映画『沈没家族』を2度見ました。1度目は2018年にあるイベント会場で、2度目は先日、東中野の映画館で。どちらも客席は超満員で、集まった人々の何か熱のある空気が印象的でした。実は今の世の中にも、沈没家族のような人とのつながりを求める人が少なからずいるようです。しかし、それは可能なことなのか?
「いま思うと、沈没家族はシングルマザーだった当事者が本当に困って必要な助けを呼んでできた、最低限の環境でもあったと思うんです。母の場合、一刻も早く子どもを見てくれる存在を見つけないと働きにも出られないし、生活がやばい、というところから入っていて。
でも今、これからそういう試みをしようとしたら、『子どもにとって一番いい環境とは何か』みたいなことを考えて、どんどんハードルが上がっていくと思うんですよね。それこそネットで批判されたりして、無理かもしれない。
もしやるんだったら本当に、期待値を上げないほうがいいと思います(笑)。沈没家族はあのメンバーだったからああいうふうになったけれど、ほかの人がやるなら、その人なりの形になると思いますし」
すでにある形や、頭にある形を目指すのではなく、そのときのメンバーが望む形を探ること。それが一番大事なのかもしれません。
「ただ、悲観的に思う必要はまったくないし、そういう試みの中で育とうとしている子どもがいても『かわいそう』と思う必要は全然ない、ということは主張したいです。当事者にとっては唯一無二の家族であり、自分の育ってきた環境です。それを『かわいそう』と思う人がいるから、『かわいそう』になる。だから、それをやりたい人がいるならやればいいと思うし、周りも応援してあげてほしい、と思います」
数年前にフィンランドで現地の男性と結婚した萌さんは、この春、身体を壊した父親のため帰国することに。しばらくは日本にとどまるため、夫とは遠距離別居の状態です。彼女はこれからも、その時々に合った暮らしを、フレキシブルに選んでいくのでしょう。
本連載では、いろいろな環境で育った子どもの立場の方のお話をお待ちしております。詳細は個別に取材させていただきますので、こちらのフォームよりご連絡ください。
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