親は誰?46歳で「産院取違え」を知った人の闘い

育ての親を介護しながら、実親を探し続ける

産院での「新生児の取り違え」という起きてはならない事故で、いまなお親を探し続ける男性にお話を聞きました(写真:筆者撮影)

人はなぜ「出自」を知る必要があるのか? ひと言で答えるのは難しいことですが、「実親探し」を題材とした小説等の作品は昔からたくさんあります。自分はどんな親の遺伝子を受け継ぎ、どのような経緯でこの世に生まれてきたのか知りたいという欲求は、程度の差こそあれ、人間にもともと備わったものなのかもしれません。

子どもの権利条約にも「(児童は)できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する」という一文があります。「出自を知る」ことは、人の権利として認められているのです。

大概の人は血縁関係のある親に育てられるため、出自を意識することはあまりないのですが、ときどき自分を育ててくれた人が血縁上の親ではないと知る人がいます。しかも育てた親のほうも、子どもと血縁関係がないことを知らないケースも。

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産院における新生児の取り違え――。まれに聞く話ですが、助産師さんから病院での出産へと切り替えが推奨された昭和の一時期、そう珍しい出来事ではなかったようです。

1958年4月、都立の産院で生まれたAさん(61歳)は、46歳のときにDNA鑑定を受け、自身が「取り違えられた子ども」であると知りました。これまでの人生や、実の親を知りたい気持ちについて、聞かせてもらいました。

中2で家を飛び出した

「おまえは誰にも似ていないね」。親戚が集まったときなど、よく言われてきたことです。母親の目、鼻、口もと、父親のそれらを順ぐりに眺め、「確かに似ていない」。幼い頃から、自分でもそう感じてきました。

性格も、父親とは正反対でした。Aさんは「わんぱくで、よくしゃべる子」でしたが、父親はアルコール依存気味で、お酒を飲まないとまったく話をできないタイプ。反りが合わず、「顔が変形するほど殴られた」ことが何度もありますが、弟は一度もたたかれることがありませんでした。笑うところや怒るところの感覚も、家族のなかで1人だけ違ったそう。

「この家にはいられない」と感じ、家を飛び出したのが14歳のとき。今から半世紀近く前とはいえ、周囲に中学生で家を出るような子どもはいませんでした。以来、焼き肉屋で調理師見習いをしたり、クリーニング屋で手伝いをしたり、年齢をごまかして住み込みで働きながら中学に通い、ほかの生徒より数カ月遅れで卒業証書を受け取ったといいます。

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