当時、両親には気を遣ったといいます。彼らの前で実親を必死に探すのは「失礼なこと」のようにも感じられたからです。離婚家庭の子どもが、離別親に会いたいと思っても同居親に言いづらく感じるのと似た気持ちかもしれません。
実親探しと並行して、裁判も起こしました。一審の地方裁判所では、損害賠償や不法行為については時効とされたものの、取り違えは認められる結果に。そこでこの判決をもとに、東京都に対し再び「区の出生受付帳の情報をもとに、取り違えの相手を探してほしい」と求めましたが、都は応じてくれませんでした。
控訴して高裁に進み、今度は慰謝料を勝ち得ましたが、親を探すことについては進展なし。都が上告して最高裁に進めば、実親探しを求めるつもりでしたが、上告がなかったため裁判はそのまま終わることになりました。
本当の親を知ることのできないつらさ
その後もAさんは東京都に対し、取り違え相手を探すことを繰り返し求めてきましたが、いまも進展はありません。筆者が東京都に確認したところ「区に対して、出生受付帳の情報開示を請求する法的根拠がない」のが理由だと言います。
個人情報の保護はもちろんとても大切なことですが、この件については明らかに都の産院による過失です。1人の人間の人生を果てしなく変えた重大な事件ですから、然るべき措置をとって、例外を認めることはできないものでしょうか。
「戸籍法には『間違いを知ったら訂正をしなければいけない、訂正をしない場合には過料を科す』といったことが書かれています。それで僕が戸籍の訂正のために必要な情報を求めているのに、役所は個人情報保護を優先して応じませんし、謝罪もしていない。
人間としてこの世に生まれたら、自分の血筋を知る権利というのは、僕はあると思います。AID(非配偶者間人工授精)でも養子縁組でも、それを知ったときから権利はある。その権利を、個人情報という一言でシャットアウトするのはおかしいでしょう」
過去に産院で取り違えられたことがわかっている人は、Aさんのほかにも複数います。うち1人は、わかったときすでに実親は亡くなっていたのですが、実のきょうだいとは会うことができ、今も親交を深めているそう。「うらやましい」とAさんは言います。
「取り違えについて『知らないほうがよかった』と思ったことは、一度もありません。実の親にも、僕と取り違えられた相手にも、会って話を聞いてみたい。『親せきが1人増えた』くらいの感じで、お会いできたらいいですね」
実親がわかったら、彼らの病歴や体質も知りたいとAさんは考えています。DNA鑑定を受ける前から原因不明の体調不良があり、遺伝的な問題も考えられるからです。
もし取り違えられた相手が見つかった場合、先方の人生を揺るがす話でもあるため、慎重に考える必要はあるでしょう。それでも「出自」という重要な事実について、彼の知る権利がないがしろにされていいことにはならないのではないでしょうか。
実の両親が生きていれば、すでにかなりの高齢のはずです。再会することはできるのでしょうか。
本連載では、いろいろな環境で育った子どもの立場の方のお話をお待ちしております(例/戸籍をもたない方、外国ルーツと見た目でわかる方、何かしら障害のある親のもとで育った方、親が犯罪者となる経験をした方、など)。詳細は個別に取材させていただきますので、こちらのフォームよりご連絡ください。
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