親は誰?46歳で「産院取違え」を知った人の闘い 育ての親を介護しながら、実親を探し続ける

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親と血縁関係がないなど、当時は「夢にも思わない」ことでした。39歳で、母親の血液型がB型とわかったときも同様です。AさんはA型、父親はO型ですから「おかしい」とは思ったものの、この頃ちょうど新聞で特殊な遺伝子変化の存在が報じられたため、「自分もそれに違いない」と言い聞かせていました。

親子関係がないとはっきりわかったのは2004年、46歳のときです。体調が悪く、病院で検査を受けた際に血液型のことを伝えたところ、主治医が関心をもち、大学の研究者を紹介してくれたのです。そこでDNA鑑定を受けた結果、親子関係が存在しないことが判明。「産院での取り違えしか考えられない」という結論に至りました。

「聞いた瞬間、頭の中は真っ白ですよね。怒りと悔しさと。そして14歳の頃を思い出しました。なぜ、私が中学2年で家を飛び出さなければならなかったのか。もちろん、どこの家庭でも親子で気が合わないことはあるだろうし、反抗期も重なったとは思いますが、でもやはり『血筋が違う者に育てられて、互いに相手の言っていることを理解できなかったから』という原因もあったと思います。

育ててくれた両親には感謝していますが、やっぱり自分の思っていることを理解してくれる親に育てられたかった」

もちろん血縁関係がなくても良好な関係を築く親子はたくさんいますし、逆に血縁があっても馬が合わず、いがみ合う親子も山ほどいますから、血縁の有無「だけ」が原因ではないでしょう。けれどAさんの場合、もし血のつながった、かつ性格やものの感じ方が似た親に育てられていたら、家を飛び出さずに済んだかもしれません。

なお、血縁がないとわかれば両親とはますます疎遠になりそうですが、Aさんは逆でした。久々に顔を合わせた両親がすっかり年老いているのを見て、「家を飛び出すまでの14年間育ててもらったことは事実なので、これから14年は自分が親の面倒を見よう」と決めたそう。父親は3年前に他界しましたが、今も認知症になった母親と暮らしています。

自力で一軒ずつ訪ねても見つからず

真実を知りたい。実の親が生きているなら会ってみたいし、取り違えられた相手がどんな環境で育てられてきたか、話を聞いてみたい――。DNA鑑定の結果を知った瞬間から強く願ってきたAさんは、すぐ東京都に対して取り違えの相手を探すよう求めます。

しかし彼が生まれた産院はすでに閉鎖しており、都は「当時の資料が残っていないのでわからない」と言うばかり。そこでやむなく、区の住民基本台帳から「昭和33年4月生まれ」を抽出し、一軒一軒訪ねて回ることにしました。

住民基本台帳はコピー不可で、携帯で写真を撮ることも許されなかったため、手書きで複写するしかなく、抽出は大変な作業でした。閲覧は「30分ごとにいくら」と決められており、何度も通い詰めて手書き複写を繰り返し、約80人の該当者を拾い出したそう。

当時Aさんは福岡県に住んでいたため、該当者を訪問できるのは週末のみ。毎回レンタカーを借りると費用がかかるため、安いナビ付の車を買い、該当する家を一軒一軒回ったのですが、しかしその中に実の両親はいませんでした。

もしかすると、実の両親は別の区の住民だった可能性もあります。そこで次は、隣接区の住民基本台帳を見ようと思ったのですが、あいにくこのとき(2006年)はすでに、個人情報保護の観点から、台帳の閲覧ができなくなっていました。

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