部屋は全部で5つあり、2~3組の母子と数人の若者たちが住んでいました。居住していない人も含めると、多いときで20人を超えるメンバーが出入りしていたそう。
住人たちは、家賃を部屋面積で割って負担。萌さん母子は最も広い10畳の部屋に住んでいました。食費などは皆でカンパして出し合っていたようです。居候としてリビングに雑魚寝している人もいたとか。
「印象としては、めっちゃボロくて汚い(笑)。それが普通の状態と認識していました」
ここに集うのは血縁でも職場の仲間でもなく、しのぶさんと同様に「沈没家族」の理念に共感した人々。単身の人もいれば、子どもがいる母親もいたし、男性も女性もいました。
大人たちは毎月会議を開き、母親が仕事でいないときに誰が子どもを見るか、担当を決めていました。しかし、子どもの受け取り方は少し違ったようです。
「周りの大人たちが、あまり“大人らしい大人”じゃなかったんです。先生みたいではない。大人ってたぶん、子どもにダメなところを見せられなくて、自分が規範とならなきゃ、みたいな感じで子どもと接すると思うんですけれど、そういうところが全然なくて、完全に素。酔っぱらって、その辺に転がっている人がいたりして(笑)。
だから(大人たちが)保育をしに集まっているとは思わなかったですね。お母さんとかのお友達が、ただ遊びに来ているものだと思っていました」
家の中で、親以外に甘えられる場があった
子どもの目に映った飾らなすぎる大人たちの様子が目に浮かんでちょっと笑ってしまいますが、生活の場だったわけですから、自然なことでもあります。子どものほうも、自分のために親や大人が無理をしていると感じたら重荷ですから、“素”の様子を見られるくらいでちょうどよかったのでは。
「一番よかったのは、家の中で、親以外に甘えられる場があったことだと思います。いわゆる“普通”の家庭でも、お母さんが感情で子どもを叱ってしまうことはあるじゃないですか。
そういうときも、親でもきょうだいでもない赤の他人が客観的に見て『しのぶさん(萌さんの母)、それはちょっとおかしいんじゃない?』とか、『めぐはちゃんとそれ、やってたよ』とか、フォローしてくれる。育児の相談をできる人が周りにいるのは、たぶん母にとっても大きいことだったんじゃないかと。
子ども1人に対して大人がたくさんいる、という環境はすごくいいと思うし、大事なこと。家族という形じゃなくてもいいので、いろんな子どもたちにその環境があればいいなと思います」
母親は夜仕事に出ることがあったため、夜中に目が覚めたときは寂しかったそうですが、「リビングに行くと必ず誰か大人がいて構ってくれるのも、すごくありがたかった」といいます。
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