広島の「平和活動」に感じる微妙な矛盾と残念さ 原爆と核兵器廃絶は別問題なのか

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ICANの「キャンペイナーズ・キット(活動家のツール1式)」には、楽しく行うことが人々のモチベーションと関与の維持につながると書いてある。

もし広島の公共機関、市民団体、学術機関が自分たちの使命を次世代に伝えていきたいのであれば――それが原爆の現実を伝えることによってであれ、核廃絶運動を前向きに推進することによってであれ――こうした機関や団体は、伝える先の次世代が、広島の平和文化への自分たちの貢献を楽しむと同時に、生計を立てられる環境作りをする必要がある。

広島はまだ矛盾を調整することができる

私がこの記事を書くための情報を収集するときに話をしてくれた誰もが、若い世代が次第に、原爆を単なる1つの過去にすぎないと考えるようになりつつあることを憂慮していた。だが同時に、多くの人が、広島がいかに発展を続けていくことができるかに希望を抱いていた。おそらく広島は、まだその矛盾を調整することができる。

広島市民は、核廃絶に関して次第に積極的かつ戦略的になっていくこともできる。その1つの事例が、今年結成した、ボランティアで運営するICANの提携組織「核政策を知りたい広島若者有権者の会(カクワカ広島)」だ。彼らはTPNWへの日本の支援を活性化するために、中国地方の国会議員に接触している。

また、広島県が立ち上げた夏期プログラム「核兵器と安全保証を学ぶ 広島-ICANアカデミー」は、原爆と核兵器廃絶を明確に結びつけようと言う試みではないだろうか。

広島は時として「内向き」になることもあるが、広島だけでなく、世界中にいる「グローバルヒバクシャ(広島・長崎の被爆者だけでなく、原発事故や核実験、ウラン鉱山などでの被爆者)」に対する関心はどんどん高まっている。福岡氏は、広島以外の核兵器や戦争被害者との関係性に対する理解を深めるためにも、平和教育を発展させ続ける必要があると語る。「広島はつねに語り続ける場というのではなく、もっと耳を傾ける場になればすばらしい」と同氏は言う。

文化とは時と共に変わり続けるものであり、広島の平和文化もその例外ではない。その文化や関連機関をどのように変えていくか、そして、どういうメッセージを発していくかは広島にいる人たちにかかっているのである。

アナリス・ガイズバート フリーランス記者

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Annelise Giseburt

アメリカ、シアトル生まれ。大学で日本語や英文学が専攻。2016年に来日、現在広島に在住。翻訳を独学し、2018年に翻訳の仕事を開始。フリーランスライターとして寄稿した新聞やサイトは「The Progressive」「GaijinPot」「GetHiroshima」など。

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