京都や横浜も原爆投下の有力候補地だった 東京湾や川崎もリストアップされていた
戦争の遂行が最優先され、物資統制などで市民生活が極めて苦しくなった戦中の日本。アニメ映画やテレビドラマ化された人気漫画『この世界の片隅に』は、そんな戦時下の広島市と呉市で懸命に生き抜く人々の暮らしを描いている。そして、このヒット作のおかげで、1945年8月の原爆投下にも改めて関心が集まっている。
広島・長崎への原爆投下は今年8月で73周年を迎える。当時生まれたばかりの赤ちゃんも、今では70歳を優に超えているということだ。
被爆者が高齢化するなか、戦争体験を若者に克明に語れる人々も減っている。筆者は7月19、20両日、公益財団法人フォーリン・プレスセンター(FPCJ)のプレスツアーの一員として長崎と広島で取材した。ここで取材した内容をもとに、「原爆」を改めて見つめる出発点として、基本的な事実をおさらいしてみたい。
アメリカ軍は複数の都市をリストアップしていた
アメリカによる広島と長崎への原爆投下は日本のみならず、世界中で広く知られていることだ。
しかし、アメリカ軍の当初の計画では、東京湾や横浜、川崎、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡、熊本なども原爆投下目標の研究対象としてリストアップされていたことはあまり知られていない。日本の降伏が長引き、アメリカがさらなる原子爆弾の開発に成功していれば、これらの都市のいくつかも原爆の爆心地になっていたかもしれない。
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