京都や横浜も原爆投下の有力候補地だった 東京湾や川崎もリストアップされていた

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第2次世界大戦が激しさを増すなか、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が、軍と科学者を総動員して原爆製造の「マンハッタン計画」を秘密裏に始動させたのは1942年8月だった。当初はドイツへの核使用を想定していた。

広島平和記念資料館で核兵器の危険性について説明する志賀賢治館長(筆者撮影)

しかし、広島平和記念資料館発行の『図録 ヒロシマを世界に』によれば、1944年9月、ルーズベルト大統領とイギリスのウィンストン・チャーチル首相が会談し、今後とも原爆開発については最高機密とし、爆弾が完成すれば慎重に考慮したうえで、ドイツではなく日本に対して使用することを決めたとされる。

アメリカは約20億ドル(当時)もの巨費を投じ、国の総力を挙げて「マンハッタン計画」を推進、ウラン爆弾1個、プルトニウム爆弾2個の計3個を完成させた。このうち、プルトニウム爆弾は、構造が複雑なために実験を行う必要があり、1945年7月16日にアメリカ南西部ニューメキシコ州アラモゴードの砂漠で核実験を行った。この世界初の原爆実験は成功した。広島への原爆投下のわずか3週間前である。

東京湾など17カ所が原爆投下の研究対象

では、残り2個の原爆を日本のどこに落とすのか。「マンハッタン計画」の責任者、レズリー・グローブス陸軍准将のもと、1945年4月27日に第1回目標検討委員会がワシントンで招集された。そこでは、東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保の17カ所が原爆投下の研究対象として選ばれた。

広島平和記念資料館に展示される被爆者の衣服(筆者撮影)

選定基準としては、(1)直径3マイル(約4.8キロ)以上の広さを持つ都市(2)高度な戦略的価値を持つ都市(3)比較的、空爆による被害を免れた都市――などが確認された。

「原爆投下目標の基準になったのは、一定規模以上の大都市。(アメリカは)原爆の破壊力が実証できる都市を選んだ。その中には京都や横浜、名古屋、大阪といった大都市が含まれていた。このうち、すでにその時点で爆撃で破壊された都市を除外していった」

広島平和記念館資料館の志賀賢治館長は7月20日、外国メディアにこう説明した。

東京、横浜、川崎、名古屋、神戸は、太平洋戦争開戦から4カ月後の1942年4月18日、米空母から飛び立つB25爆撃機によって、日本本土初となる空襲を受けている。アメリカによる本土空襲は1944年から本格化しており、1945年3月10日の東京大空襲では絨毯(じゅうたん)爆撃で約10万人が犠牲になった。川崎も同年4月15日に大規模な空襲を受けていた。

次ページ第2回目標検討委員会では…
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