民主党のバイデン候補が、「中国は競争相手ではないし、警戒する必要がない」と、中国に甘いスピーチをしたのは、パウエル議長の記者会見と同じ5月1日だった。バイデン候補は、民主党の大統領候補レースのトップであり、実は、民主党は党としてパウエル氏を支持している。すなわち、バイデン発言と同時にパウエル議長会見を、中国が見逃すはずがない。
突然の「合意破り」は「国際慣習」違反に当たる
では、なぜ、中国が狙ったようなシナリオに沿って事は運ばなかったのか。それは、今回の件で失策を演じるまでは、習近平国家主席に代わる米中貿易交渉の「特使」として、貿易問題の最高意思決定者であった劉副首相の経歴にある。
アメリカのメディアは5月9日の段階で、中国側のトップ交渉者として訪米していた中国の劉副首相の立場に変化が生じていたと、報じている。
NBCテレビはこう伝えている。「中国側のトップ交渉者である劉副首相は、アメリカ側の交渉チームと本日(5月9日)、会談するが、これまでの習近平国家主席に代わる『特使(スペシャル・エンボイ)』という肩書なしで臨むことになる」と。いわば、劉副首相は「降格」と解釈した。
中国では、アメリカに留学すると、中国国内での出世コースから外れると言われる。劉副首相が、長年の行政官僚としてのキャリアを生かして、行政学などの分野で有名なハーバードのケネディ・スクールの大学院で修士号を修めたのは、43歳の頃と伝えられる。
劉副首相が国際官僚として頭角を現すのは、ケネディ・スクール留学の後であり、アメリカで学んだ行政学が、習近平国家主席の貿易問題「特使」という出世コースに乗るきっかけになったことは、当然と言える。
ロイター通信が伝えたように、アメリカ側の貿易交渉の最高実務責任者であるライトハイザーUSTR代表を激怒させたのは、国内法を改正するという合意を、中国が全面的にひっくり返したことだ。この官庁による行政の運用のみにするという「サプライズ」は、アメリカで学んだ行政テクノクラートとして自負する劉副首相の離れ業だったわけだ。
しかし、劉副首相が見落としていることがある。アメリカには、交渉学というものがあることだ。それは「訴訟」と関連して進展してきたもので、行政学にそれはない。「訴訟」に関して言えば、貿易問題における最高の法律実務家と表現して差し支えないライトハイザーUSTR代表や、ハイリスクなアメリカ不動産業界で数多くの訴訟を潜り抜けてきた「不動産王」のトランプ氏と比べると、劉副首相のバックグラウンドは、アメリカとの交渉学については、ほとんど「無」に等しい。
今回のように、最終的にまとめる、ぎりぎりの段階で交渉の合意をひっくり返すという、劉副首相のやり方は、まったく異様である。何カ月にもわたる綿密な交渉過程で積み重ねられてきた合意を尊重するのは、当然の「国際慣習」である。
中国側の突然の「合意破り」は、まさに「国際慣習」違反に当たる。アメリカ側が、1週間の事前通告で関税を急きょ引き上げるという、制裁発動の引き金を引いたのは、論理的に自明であると、実務の角度から断言できる。
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