西欧優位の起源となった「世界史の大分岐点」 気候変動と生態環境で見るアジア史
14世紀と17世紀に訪れた2度の世界史的な危機の影響について、『教養としての世界史の学び方』(共編著)を上梓した岡本隆司氏が解説する。
寒冷化の再来と世界史の変貌
14世紀以降、地球は寒冷化に向かいます。そこで起こった数々の混乱は、ヨーロッパの歴史学において「14世紀の危機」と呼ばれている現象で、とくに「黒死病(ペスト)」が有名です。ヨーロッパばかりではありません。モンゴルが被った影響も大きく、これで帝国は解体、消滅しました。ユーラシアの統合はおろか、西アジア・中央アジア・東アジアそれぞれの政権による地域内部の統治さえ、維持できなくなるのです。
寒冷化で痛めつけられた世界のなかでも、中央アジアの立ち直りは早かったようで、ティムール朝が興起します。ティムール朝はモンゴル帝国の統治システムをほとんどそのまま援用し、遊牧民と商業民が分業しながらタイアップし、繁栄を誇りました。
ところがこの政権も短命で、15世紀に北方の遊牧勢力に滅ぼされると、中央アジアを包含する巨大なユーラシア統合の時代は、終焉を迎えます。人類の歴史上でも、これがほぼ最後となりました。
遊牧民・商業民・農耕民の分業と提携で広域統合を果たすのがモンゴル帝国・ティムール朝のシステムだとすると、16世紀以降、その後継政権に相当するのはオスマン帝国・イランのサファヴィー朝・インドのムガール朝などです。やや遅れて、17世紀の東アジアの清朝を含めることも可能でしょう。
いずれも遊牧起源の人々を中心に勃興した政権ですが、複数の集団を支配する君主は、多数派を占めるには至っていません。オスマン帝国はトルコ系の君主を中心に、ギリシア人・アラブ人を統治しましたし、サファヴィー朝もトルコ系遊牧民が大多数のイラン人を支配し、ムガール朝はペルシア=トルコ系のムスリムがヒンドゥーの人々を治める形でした。
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