黒船来航の真意を知らない人に教えたい本質 「明治維新」を地球大で考えてみよう
「ペリーはなぜ、鎖国中の日本にわざわざやってきたのでしょう?」
貿易がしたいから? 捕鯨のため? いやいや、もう少し突っ込んで考えてみましょう。それは、これから紹介する本で読み解けます。
ペリーが日本に来たのは…
拙著『教養が身につく最強の読書』でも紹介している最初の本は、1853年に日本に黒船に乗って来航したペリー提督の報告書『ペルリ提督 日本遠征記』〈l~4〉(ペルリ/土屋喬雄、玉城肇<訳>岩波文庫/1948~55年)です。
この本が岩波文庫版として翻訳されたのは、1945年(昭和20年)、まさに敗戦の年でした。1巻冒頭の解説で、訳者は「マッカーサー将軍は民主主義日本の黎明(れいめい)を告げる人とならうとしてゐる」(原文ママ、原文の旧字を新字に改めた)などと書いています。この本の原書は、ペリー提督の報告書を、フランシス・L・ホークスという人がペリー提督の監修のもとに編纂したものでした。
当時の日本の状況や国際事情が「アメリカ目線」から紹介されており、教科書的な知識しかない場合は目からウロコが落ちること、間違いありません。そして、ペリー提督が黒船で来日して、言語から地政学的な歴史、文化に至るまで、恐らくは日本人以上に、日本のことを洗いざらい調べ上げたことがよくわかります。また、米国内でも日本に来るための根回しにいかに努めたかというウラ事情も垣間見られます。
19世紀当時の米国の最大のライバルは大英帝国でした。中国との貿易をめぐり、米国は大英帝国と争っていました。お茶や絹をはじめとする中国の豊かな産物と大きな市場が狙いです。ペリーは、大西洋を通って欧州に行き、それからインド洋を渡って中国に来ています。でも、こういう航路を通っている限り、絶対に大英帝国には勝てません。大英帝国はインド洋を通ればいいだけで、大西洋を渡る必要はないのですから。そこでペリーは、太平洋を通って中国に来れば、大英帝国に勝てると考えた。
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