明治維新より輝かしい「大政奉還」という偉業 150年前の「慶応維新」は世界史上の奇跡だ
龍馬も大歓迎した大政奉還
薩摩と長州に討幕の密勅(後述)が下った慶応3(1867)年10月13日、まさにその日、将軍の慶喜は「政権を朝廷にお返しする」と発表した。
この歴史的な決断を待っていたのが、大政奉還を後藤象二郎(土佐藩重役)に提言した坂本龍馬である。
龍馬は、後藤から土佐藩主の山内容堂に奉還論が説かれ、それが幕府と朝廷に建白書として提出されていたことを知っていた。薩長の内情を知る龍馬は、幕府が政権を奉還しなければ、薩長と幕府の日本を二分する流血の戦いが勃発することを恐れていた。
そのため龍馬は、将軍が大政を朝廷に返したことを知るや、体をよじりながら、「これで戦争は起こらぬ。将軍のお心はいかばかりかと察するに余りある。よく決断なされた。私は誓って、この将軍のために一命を捧げん」と感涙した。
翌日の14日、将軍慶喜は大政奉還の上表文を朝廷に提出した。そこには、「政権を朝廷に奉帰(ほうき)して、広く天下の公議を尽して御聖断(ごせいだん)を仰ぎ、万民一致して皇国を興隆し、外国と並び立つこと」という内容が記されている。朝廷はこれを受理した。
これは平和的な絶対権力の移行である。慶応3(1867)年10月14日は、日本の歴史で記憶すべき日である。
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