たとえ幼くても、情報をしっかり与えていれば、子どもは自分で考えることができる。重要なことを親が一方的に決めてしまうより、子どもの意見をちゃんと聞く方が将来ずっと子どもたちのためになる、というのが齋藤家のモットーだった。
齋藤夫妻は、三女を迎える1年前に、2カ月間、別の里子を預かっていた。初めての里親経験は大変なことも多かったが、預かり期間が終わり、里子が齋藤家を離れると、『いなくなっちゃった』と2人の姉妹は大泣きした。そんな彼女たちを見て、齋藤夫妻は再び里子を迎えることを決める。縁があったのは、当時乳児院で暮らしていた2歳の女の子だった。
育て親を「なんと呼びたいか会議」
この子の里親になりたいと家族の意見が一致すると、齋藤さんたちは、少女に尋ねた。
「私たちはあなたに、うちの仲間になってもらえたらうれしいと思ってる。もし、あなたも仲間になっていいなと思ったら教えてね?」
そして、何度も面接や交流を重ねたある日、3歳になっていた彼女はこう答えた。「わたしも仲間になりたい」
「乳児ならともかく、3年も生きてきたのだからすでに意思も感情もある。ちゃんと気持ちが固まってから来てもらえたらと思っていました。彼女が自分で決めてうちの仲間になってくれたことをすごくうれしく思っています」(直巨さん)
里子になると育て親を「パパ/ママ」と呼ばせる家庭は多い。だが齋藤家に来て10年が過ぎた今も、三女は2人を「竜さん」「なおさん」と呼ぶ。この呼び方も家族会議で決めた。
「うちに来てすぐの頃、『世界で1番好きな人は誰?』という話になって。上の娘たちは『お母さん』とか『お父さん』とか言う。三女も『なおさん』と答えたんです。え〜、来たばかりでそんなはずないじゃない、と(笑)」(直巨さん)
つねに、大人が喜ぶ答えを出そうとする彼女に、竜さんや直巨さんは、そのまま感じたことを言っても大丈夫だということを伝え続けた。
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