中後悠平、二度「戦力外」を受けた男の恩返し 理解者だった義父と突然の別れ、激動の1年
中後は、ごく身近な人間に言っただけで、球団に伝えることを差し控えた。義父が天に召された日は、一軍に合流しての練習日と重なっていた。
一軍に上がれるかどうかの瀬戸際にいた中後にとって、大事な時期でもあった。中後の心は揺れていた。練習に参加すれば、義父との最後の別れとなる通夜にも葬式にも参列することは叶わなくなる。その気持ちを見透かしたかのように、妻と義母がこう言って背中を押した。
『せっかくもらったチャンスなんだから行ってきて。そっちのほうがお父さんも喜ぶから……』
「だから、練習に行くことを決めたんです。それに行ったおかげで、その3日後ぐらいに一軍にあがれたんですよ」と中後が反芻した。
中後のプロ一軍のマウンドへの復帰は7月20日、実に1421日ぶりのことだった。その姿を見せることは叶わなかったが、中後には義父からかけられた忘れられない言葉がある。もしかしたら義父は、自分に残された時間を分かっていたのかもしれない。
「ベイスターズへの入団が決まったことを報告して、ハマスタまで見に来てくださいって伝えたんですよ。そうしたら『十分、お腹いっぱいだよ。これから先、頑張れ。これでまた夢を掴んだ。チャンスだ。絶対モノにしろよ』と言ってくれて……」
理解者である義父に返しきれない「恩」
どんな時でも中後の理解者となり、支え続けてくれた義父には、返しても返しきれない恩がある。中後は、「自分はまだ結果を残した選手ではない」と唇をかみしめる。その一方で、自分の可能性を諦めることなく、挑戦し続けてきた中後の姿が、義父にとっては十分すぎる恩返しになっていたのかもしれない。
そして波乱に満ちた中後のプロ野球人生において、何より欠かすことのできない存在がいる。妻の光だ。幼い息子2人を抱えながら中後を支え続ける妻・光。戦力外通告から一軍のマウンドに立つまでの怒涛の日々を振り返る時、中後はどんな状況でも気丈に振る舞う妻に、感謝せずにはいられなかった。
本来ならば、実父の病気と夫の戦力外通告を同時に受け、いちばん辛かったのは妻なのではないか。そして、実父に残されたあまりにも短すぎた時間を支えるだけでなく、夫が野球に集中することができるように気を配り続けたのだ。
「妻がいちばん辛いんですよ、ホンマは。ダブルショックですよ。僕がクビになって、お義父さんは癌って言われて。いちばん辛いのに、頑張って支えてくれてね。辛いって言葉じゃ収まりきれないと思う」
そんな妻と息子たちの存在は、中後を鼓舞するには十分なものであろう。義父が天に召された今、これまで以上に、中後は自分の背負っているものの重さを噛み締めていた。