山田:本道からちょっとずらしたところから何か言う、というファイティングスタイルは、正統派の漫才で勝負せず、シルクハットをかぶり、ワイングラスを持って「貴族のお漫才」を始めた僕たちと似ているかもしれませんね。田中先生も、ある意味シルクハットをかぶってるんですよ(笑)。
田中:本当にそうです(笑)。驚くことに、宮台先生が90年代に「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)とかで大活躍していた頃って、まだ30代半ばだったんですよね。しかも恐ろしいのは、僕も30代の頃はああいう討論番組に出たいと思っていたし、声さえかかればあれぐらいやれると思っていたんです。やれっこないのに、30代は思っちゃうんですよ。正直に白状すると、なんなら、宮台先生のようなマルチプレイヤーになる夢を、本当は今も少し捨てきれていないところがあるのかもしれません。
「先が見えてしまう恐怖」と折り合いをつける
山田:ただ、宮台先生じゃないですけど、お笑いの世界でも、20代や、遅くとも30代前半で何かしら世に出てその後も一線で活躍される方々ももちろんいらっしゃるので、若手芸人の高齢化と同時に二極化も進んでいる印象があります。そうなれなかった人は、地道にずーっとやっていく中で、「これ、40歳でする仕事なのか?」みたいに思う時が必ずくる。
田中:「これって40歳がする仕事なんだろうか」みたいな葛藤って、会社員にもあると思います。
山田:自分がMCの冠番組を持つことをひとつの成功のモデルケースとすると、今からじゃ完全に間に合わないぞ、ということに気づいてしまう年齢が今は40歳頃なんじゃないでしょうか。いや、もっと早く気づけよ! って話ですが(笑)。いい意味でも悪い意味でも、いろんな可能性を潰しきって、すでに決着がついてしまっている年齢というか。
田中:それは「先が見えてしまう恐怖」で、40代ぐらいでようやく見えてくるものでしょうね。若者が就活で不安に陥るのは「先が見えない恐怖」からですが、「この先も20年この仕事を同じテンションでこのまんま続けていくのか……」ということがわかってしまった40代男性の「先が見えてしまう恐怖」も、それはそれでとても怖いことですよね。
山田:40歳という年齢がまた中途半端なんですかね。僕らの世代は、30歳までにモノになっていなかったらダメ、という感覚でやってきて、「飯を食えるようになる」というハードルは一応クリアした。だけど、40歳になるタイミングで、走り幅跳びの踏み切り板が急にきたみたいな感じになる(笑)。もう30代の時ほどの若手感は通用しないし、40代になるならあれもこれもできてなきゃいけなかったんじゃないか、という反省もあるし。かといって、この先そんなにええことあるのかな、という思いもある。でも、踏み切りのラインはきちゃったから、歩幅を合わせるのにバタバタッとするんです。
田中:若い頃は、実力的にも精神的にも経済的にも、40歳ってもっとちゃんとしていると思ってましたよね。「踏み切り板が急にきちゃった」という例えは、「え、こんな状態でもう40歳になっちゃうの?」という“あるべき40歳“の理想像に達せていない焦りをよく表していると思います。
山田:思えば、若い頃は「テレビで売れるのが正義」「テレビ出な負けやろ」みたいなストロングスタイルの考え方をしている時期が、僕みたいなものにもありました。宮台先生に対する田中先生の気持ちと同じように、「こんなの俺には逆立ちしたって無理やな」という人に出会ったとき、僕も昔はいたたまれなかったですね。「あいつは今、これくらいのレベルの仕事をしているのに……」とか、手帳に恨み言を書きつけてましたもん(笑)。
田中:男爵にも、そういう時期があったんですね。