香西:そう。直近の試合を振り返ったり、さまざまなプレーの幅を研究したり、考えるべきことはたくさんあります。面白いもので、新しいスタイルを創り上げようと思うと、過去の成功例やセオリーが邪魔になることがあるんです。ボード上でこれまでとまったく逆のプランを検討してみると、思いもよらなかった展開がひらめくこともありますからね。
2020年以降を見据えていま必要なことは?
乙武:ところで、5年前や10年前と比べると、車いすバスケを取り巻く状況はずいぶん変わりましたよね。最近はとりわけ人気が高く、観客も目に見えて増えてきました。しかし10年前はまだ、車いすバスケを純粋な競技として見る人が少なかったように思います。そもそも行政的にもパラリンピックは厚労省の管轄で、つまりはリハビリの延長と解釈されていました(※現在は文科省)。当時からこの世界に身を投じていた香西選手としては、現状をどう見ていますか?
香西:そうですね、実感として大きく変わってきたと思います。その意味では僕よりも前の世代の先輩方、つまり今日の土台を築いてくださった方々には感謝しかありません。特に2020年のオリンピック・パラリンピック招致が決まってからは予算も増えて、選手の負担はだいぶ軽減されています。以前は遠征費なども自己負担でしたから。
乙武:そうなると心配なのは、2020年以降です。私は昨年、ロンドンに滞在してパラリンピックをどのように盛り上げたのか、また大会終了後にどのような変化があったのかなど取材してきたのですが、やはり大会終了後は次々に予算が削られ、元の状態に戻ってしまった部分も大きいという現実がありました。東京大会で二の舞を踏んではならないと強く思います。
香西:そもそも招致が決まった時点で、「本当に大丈夫なの?」という思いがありました。バリアフリー環境は決して万全ではないし、英語を話せる人材も十分とは言えない。選手の側から見た際、特にロンドン大会はまったくストレスのない環境が整えられていたことに感激しただけに、いまの日本が果たしてあのレベルに達せるのかどうか。だから、2020年以降のことなんて、とても想像が及ばないというのが正直なところです。
乙武:なるほど、そのとおりですよね。ただ、こうした問題意識が芽生え、議論のきっかけが生まれただけでも、2020年の招致決定は大きいでしょう。
香西:そうですね。だからこそ大切な時期だと感じます。
乙武:そのように2020年以降を見据えると、ここからの4年間が非常に重要だと思います。はっきり言って今はパラリンピック・バブルのようなもの。現状に安心して浮かれているだけの競技は、再び失速してしまうのではないかと思います。そうではなく、これからもパラアスリートの皆さんが競技に打ち込める環境を維持するために、この時期にどのような種をまけるかが大切。ジャブジャブと流れてくるお金にあぐらをかかず、いかに持続可能な仕組み作りに着手できるか。香西選手は、いま何をしておくべきだと思います?
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