2020年東京パラリンピックから初めて正式競技に採用されたパラバドミントン。その国内の第一人者が、車いす部門で戦う長島理選手だ。
大手住宅設備機器メーカー「LIXIL」の研究者としての顔を併せ持つ二足のわらじで、目指すのはもちろんメダル。来年の大舞台に向け、その近況と胸中を乙武洋匡が直撃した――。
健常者時代からバドミントンを経験
乙武洋匡(以下、乙武):私は昨年の渋谷区長杯で初めてパラバドミントンを見たのですが、長島選手のように車いすの人もいれば、下肢や上肢に障がいを持つ人など、さまざまな部門に分かれているんですね。非常に奥行きのある競技だと感じました。
長島理(以下、長島):いろんな障がいがある中で、それぞれが持つ能力によって戦術が変わるのがパラバドミントンの特徴です。いい意味で障がいを知るのにうってつけな競技と言えるかもしれません。
乙武:長島選手はもともと健常者で、自動車事故によって下半身不随になってしまったそうですね。
長島:はい。大学2年生のときでした。バドミントンはもともと中学時代からやっていた競技なんです。
乙武:この連載ではこれまで多くのパラアスリートに登場していただきましたが、健常者時代から同じ競技を続けている選手というのは、意外と珍しいケースなんです。一般のバドミントンとパラバドミントンの両方を経験してみて、最も大きな違いを感じるのはどんな部分ですか?
長島:当たり前のことですが、やはりいちばんの違いは車いすを操作する技術が必要な点ですね。健常者時代は足で1歩踏み込めばよかったのですが、車いすで1メートル前進するのは大変なことですから。つまりシャトルを打つ前にもう1つ動作が必要で、体で覚えていたものがまったく通用しないことに最初はかなり戸惑いました。
乙武:なるほど、なまじ中学時代から体に染み付いている動作や技術が、かえって邪魔になってしまうことがあるんですね。
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