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車いすバスケ時代、海外でのプレーを望んだ理由
乙武洋匡(以下、乙武):安選手と初めてお会いしたのは、2011年の「マルハン World Challengers」でしたよね。パチンコ機器メーカーのマルハンが主催するアスリート支援の公開オーディションで、私はその審査員でした。当時の安選手は車いすバスケの選手で、まさかその数年後に車いすフェンシングに転向しているなんて、夢にも思いませんでした(笑)。
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安直樹(以下、安):そうでしたね。あれ以来のご縁で、こうしてたびたびお話しさせていただけるのは嬉しいことです。
乙武:安選手との初対面はよく覚えていて、会場のトイレですれ違ったんですよ。なんだかイカツイのが来ちゃったなと体を硬直させていたら、「今日はよろしくお願いします!」と爽やかにあいさつをされて、その腰の低さに驚いたんです。
安:あの頃、僕はスキンヘッドでしたからね(笑)。競技の性質上、体も今よりもっと大きかったですし。
乙武:安選手は車いすバスケ時代、海外でのプレーもたくさん経験されてきました。車いすフェンシングの話をする前に、当時のことを少しお聞きしてもいいですか。
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