乙武:競技レベルという点では、日本とどのような違いがあったのでしょう。パラリンピックなどを見ていても、欧州の選手はまず体つきからして違いますが。
安:それはもう、段違いです。パラリンピックや世界選手権に出てこない選手でも、「こんなに強い奴がいるのか!」と愕然とする日々でした。でも、そうした相手と切磋琢磨することが新たな気づきに繋がりますし、そうでなければ海外でプレーする意味はないですからね。
車いすバスケからの引退を決意し、他競技へ
乙武:そこまでの熱い想いで車いすバスケという競技に打ち込んできた安選手から、「車いすバスケを引退して、他の競技に転向しようと思う」と相談されたときには心底びっくりしました。選手として明らかにピークを過ぎているのであればまだしも、当時まだまだ日本のトップレベルにありました。
安:それまで自分なりにいろんな挑戦をしてきましたが、先に見据えていたのはつねにパラリンピックでした。僕が2010年にイタリアから帰国したのは、その2年後のロンドン大会に出るためだったのですが、企業との契約の問題などさまざまな事情から、なかなか満足できるトレーニング環境を得ることができず、思うような活躍ができませんでした。そこで決まったオリンピック・パラリンピックの東京開催。年齢を考えても、このまま車いすバスケを続けていたのではパラリンピックに出場できないだろうと感じたことが、転向を決意したいちばんの理由でした。
乙武:しかし、20年以上も打ち込んできた競技を、衰えを感じたわけでもないなかで辞めるというのは、ご自身にとっても苦渋の決断だったのでは。
安:そうですね。それでも、納得のいく環境が作れない車いすバスケでは、2020年までモチベーションを保つことすら難しいだろうと感じ、先を見いだせない状態に陥ってしまったんです。
乙武:それはアスリートにとって大きな問題ですよね。そこで次にどんな競技に進むのかを考え始めるわけですが、フェンシングに到達するまでに、ほかにもいろんな競技を試してみたんですよね?
安:はい。ボートやセーリング、自転車、競泳、テニス、バトミントン、シッティングバレーなど、それぞれの協会にコンタクトを取って、片っ端から体験させてもらいました。
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