車いすバスケの雄、フェンシング転身の理由 2020東京五輪目指す安直樹を乙武洋匡が直撃

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乙武:フェンシング以外に、可能性を感じた競技は?

:強いて挙げるなら、セーリングは思っていた以上に過酷な競技で、可能性というよりは「これは挑戦しがいがあるな」と感じました。ただ、残念ながら東京大会の種目からははずれてしまうことになり、断念しました。

乙武:どの競技が楽しいか、自分に向いているかよりも、とにかくどの競技ならパラリンピックで活躍できるかを重視していたのですね。

フェンシングに必要なのはスピードと冷静さ

乙武:結果として、車いすフェンシングという競技にたどり着いたわけですが、決め手になったのは何でしょう。

:正直それまで、フェンシングは見たこともなかったですし、ルールも知りませんでした。それが実際に体験してみたら、すごく楽しかったんです。幼い頃のチャンバラ遊びのようでいて、体のポテンシャルもしっかり駆使しなければならず、アスリートとしての自分を満足させてくれるハードさがありました。……もっとも、周囲からは「チェアワークがお前の武器だったのに、なぜフェンシング?」と散々言われましたけどね(笑)。

乙武:チェアワークとは、車いすを巧みに操る技術のことですね。たしかにフェンシングは車いすを固定して戦うわけですから、得意のチェアワークをまったく生かせない(笑)。車いすバスケで鍛えてきたアスリートとはいえ、やはり新たな競技にチャレンジすることは難しい部分も大きかったのではないでしょうか。

:バスケと違って、力まずにスピード重視で動かなければならないのは、すごく難しいですね。乙武さんにはよく、「日本海の荒波を思わせる闘争心だね」と言っていただきましたけど、フェンシングでは逆に、冷静さが不可欠。2015年の夏に初めて出場した国際大会では、1-5の惨敗でした。

少しずつ成長しているのは事実です(撮影:友清 哲)

乙武:しかし、その2カ月後の世界選手権では、早くも初勝利をあげています。転向初年度の日本選手権でも、いきなり優勝に輝いています。

:世界ランキングも転向当初は50位代でしたが、今は20位台まで上がってきました。少しずつ成長しているのは事実です。

乙武:車いすフェンシングへの転向を決断したのが38歳の時。それから3年が経ち、今年で41歳を迎えられます。私も42歳を過ぎて老眼が始まるなど老化を隠せないのですが(笑)、安選手には年齢的な不安はないのでしょうか。

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