障害者は健常者に「消費される」存在ではない 社会に刷り込まれている障害者への差別意識

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パラリンピックに出場する日本選手団の壮行会。大会は7日から始まる(写真:アフロスポーツ)

今年もまた夏休みの一大チャリティイベント、24時間テレビが放映されました。障害や難病を抱える人がさまざまな課題にチャレンジすることで注目される番組ですが、その裏番組として、2012年に障害者のための情報バラエティ番組として始まったNHK「バリバラ」が生放送をぶつけました。今年のタイトルは「検証!『障害者×感動』の方程式」。これを見てビックリしたのは私だけではないはずです。出演者のTシャツはあちらの番組と同じ黄色、障害者をテーマにした感動ドキュメンタリーのありさまについて24時間テレビをこれでもかとばかりにパロディ化、ツイッターなどでは大きな反響が湧き起こりました。

番組の中では、骨形成不全症を患い2014年に亡くなったオーストラリアのコメディアン兼ジャーナリスト、ステラ・ヤングさんのTEDでのスピーチ「障害者は『感動ポルノ』として健常者に消費される」も紹介されました。ステラさんは「私はあなた方を感動させるためにここにいるのではない。見知らぬ人から“あなたは勇敢だ”とか“元気をもらった”と言われるけれど、これらは人をモノ扱いしている行為。健常者が良い気分になれるよう、障害者をネガティブな存在としてモノ扱いしている」と述べ、「乗り越えるべき障害は、体や病気にではなく、社会にこそ存在する」と断言しました。

障害者を軽視する思想はどこから生まれた

7月26日未明に起きた相模原の障害者施設殺傷事件は、日本中を震撼させました。植松聖容疑者は重度知的障害者だけの殺害を目的に「津久井やまゆり園」に押し入り19人を殺害、26人に重軽傷を負わせました。同容疑者の「障害者は周りの人を不幸にする。障害者は生きている意味がない」との主張は、実は今の社会に生きる私たちの価値観やありかたと無縁ではありません。

「ひとのいのちは地球より重い」などとうたう一方で、経済的な利益を何よりも優先し、生産効率や労働能力で人の価値を判断、序列化する社会。成績や偏差値の高低が生徒の優劣を決める学校教育。障害者でなくても生きづらさを感じるこうした社会風潮は私たちが作り出したものであり、このありかたが障害者の生存を軽視・否定する思想を生み出す土台になっていないのか。私たちは今一度考える必要があります。そのことを考えるヒントとなる事件をご紹介しましょう。

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