僕はつねに兄貴風を吹かしてきた
弔辞、ということでしたが、僕にはそのような立派なものを述べることはできません。それには僕と内藤利朗との関係が不思議なものだったから、ということもあります。
彼が、幼い頃、僕の住んでいた町に引っ越してきて以来、50年以上も付き合ってきましたが、その関係は、友人同士というのとは少し違っていたような気がします。もとより血縁関係はないのですが、彼より3つ齢上だったということもあり、僕はつねに兄貴風を吹かしてきました。小さい頃は、勉強を教えるだけでなく、覚えなくてもいいカードゲームを教え込んで熱中させたり、あちこちよからぬところに連れ回したりしていました。
やがて僕が大学を卒業してフリーのライターになると、彼も日大芸術学部の写真学科に進んでカメラマンを目指すようになりました。父親の英治さんが写真家の秋山庄太郎さんと知り合いだった関係から、大学卒業後はその助手となり、やがて独立してフリーのカメラマンになりました。
そうすると、僕はさらに兄貴風を吹かせ、あれこれと仕事上の頼み事をするようになりました。利朗が比較的早く運転を覚え、車を持ったところから、体のいい運転手としてこきつかったりもしました。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら